東井朝仁 随想録
「良い週末を」

美術の秋に

今夏は、日本各地で観測史上最多の猛暑日(最高気温35度以上の日)や最大の雨量を記
録した地域が続出した。今日は9月7日で暦の上では秋だが、これから先も「7月から9
月まで」の計測期間として、記録が更新されていくのだろう。
それでも、そこはかとなく秋の気配が感じられてきた。
それは天候からではなく、生活の中の些細な事象からなのだ。

先週末の9月1日、私は目黒区にあるTさんの御自宅を伺った。
昨年は6月27日に伺ったが、その日は35.7度と暑かった。
後で調べてみたら、3日前までは30度未満の気温が続いていたが、25日から今年のよ
うに連日の猛暑日となっていた。
今夏も日ごとに暑さが厳しくなってきたので、天気予報で向こう1週間の様子を窺ってい
るうち、時宜を失してしまった。
(注・今年の東京の真夏日(最高気温25度以上の日)は9月2日現在で72日目。観測
史上最多を記録。9月1日も33.4度だった)
気がつけば9月に。そこで慌てて先方にご連絡し、伺った次第。

それでも体感は妙なもので、当日はそれまでの猛暑日よりわずかに気温が低いという意識
が働いていたせいか、バス停を降りて御宅への道を花束と菓子折りを持ちながら歩いてい
ても、「危険」な暑さは感じられず、何となく身体も楽だった。
閑静な住宅街の道沿いの家の垣根越しに、夾竹桃(きょうちくとう)の白や紅色の花が一
杯咲いていたり、黄橙色のザクロの実がたわわになっている光景を目にし、心が自然と
「秋の到来」を感知していたからかもしれない。
夏の花である夾竹桃はすでに盛りを過ぎており、ザクロの果実は、台風が来る9月の頃に
砕けて赤い種子をのぞかせるもの。
どちらも夏の終わりと秋の訪れを知らせる、私にとっての街の風物詩なのだ。

T氏宅を訪問する目的は、私の35年間にわたる畏友だった氏のご霊前に、花を手向ける
ことだった。氏は2020年6月24日に亡くなっていた。
今年は3年忌になる。
私は、部屋の一隅に奥様がしつらえた可愛らしい慰霊卓(香炉と燭台と笑顔の遺影が置か
れ、卓の前の花瓶に生花が飾られている)の前で、短い線香に火をつけて香炉の灰にさし、
手を合わせた。
線香は銀座・鳩居堂の沈香(じんこう)だと思った。奥様は、鳩居堂のギャラリーで展示
される「俳画展」に定期的に出品されており、店の絵筆や用箋や画用紙などを調達してい
る馴染み客だからだ。また、私も45歳の頃から鳩居堂の様々なお香を買い、居間で白檀
(びゃくだん)や沈香を焚いて芳香を楽しんでいたので、香りはだいたいわかった。

T家の冠婚葬祭は無宗教形式で、仏壇も神棚もない。キリスト教的な様子もない。
3年前の葬儀も、T氏の好きだったショパンのお別れの曲がおごそかに流れる中、参列者
がしめやかに、心を込めて献花を手向けるだけのシンプルで美しい、心のこもった葬礼だ
ったので、大変好ましい印象を抱いた。
「私の場合も、かくありたい」と。

今年で傘寿を迎えた奥様は、一時の憔悴も去ってお元気な様子で、現在も十数名のお弟子
さんに「茶道」のお稽古を指導されている由。
したがって、和洋折衷の造りの家屋内のあつらえも、リビングと食堂の隣にある6畳の茶
室と2畳ほどの「水屋」(点前や茶事の準備をする部屋)が、以前のままにある。
茶室の畳には炉が2か所切られ、見事な床柱が立つ床の間には、掛物と花入れが床を飾っ
ている。部屋の四方は襖と障子で仕切られ、庭側の雪見障子の下半分が上げられ、昼過ぎ
の外の光が、やや暗い室内を明るく浮き上がらせていた。
私は、この茶室に佇むと、いつもおごそかな空気に包まれ、凛とした気分になって背筋が
伸びる。
私はT氏宅を訪ねると、決まってこの茶室に入る。
この、日本文化の根底に流れるであろう静謐で簡潔な間(ま)は、現在ではなかなか得ら
れないだろう。だから私にとって、この茶室の存在はとても貴重なものと感じている。

私達は、ひととき茶室と水屋で立ち話をした後、リビングのソファに座って冷茶を飲みな
がら歓談をした。そしてリビングの壁のところどころに掛けられた俳画や水彩画や油彩画
(油絵)を、冷茶を口に含むたびに、ちらちらと眺めていた。それはT家を訪れた時の習
性となっていた。
どれも以前と同じ作品だった。だが、1点、12号(長辺が約60㎝)ほどの水彩画がソ
ファの後ろ側の壁に掛かっているのが目についた。
木立と花が描かれた、明るい色彩の風景画だった。
「これは、奥さんが描かれたのですか?」
「ええ。これは何回か、応募作品展で入賞したんですよ」と微笑まれた。
以前、本格的に水彩画をやり始めていると聞いていたが、私には絵画を評価する技量はな
いが、改めて作品の前に立って観賞しながら「うまいなあ・・」と呟いていた。
そして「いつもお邪魔した時に、玄関や廊下やリビングに素敵な絵が掛かっているので、
感心するんですよ。どなたの絵でしたっけ?」と、今更ながら聞くのも恥ずかしかったが
尋ねると、奥様以外の絵画は、「私の義兄、実姉の夫です。玄関の絵もそうです」と言わ
れた。
そして席を立ち、白い封筒を持参された。
「これを皆さんに郵送しているのですが、東井さんは今日来られるので、直接お渡ししよ
うと準備していました」と言って、私に手渡された。
表に「東井様」と宛名だけ書かれた封筒が、先ほど慰霊卓の前に置いてあったのが目に入
ったが、それだった。

開けると既に住所と宛名と添え書きが掛かれた絵葉書(裏は俳画)が入っていた。来月、
神宮前ギャラリーで開催される俳画・水彩画の個展の案内状だった。個展のサブタイトル
として「傘寿を超えた私の小さなあしあと」とあった。
さらにもう一枚。「第84回・一水会展」の招待状が入っていた。
これは今月後半から10月初めまでの日程で、上野公園の東京都美術館で開催される。
招待状の裏に、「小川 游」と自筆のサインがあった。
「おにいさん(義兄)は、小川 游という画家なんですか?!。そうか、それでプロの義
兄の絵画が、色々と掛けられていたんですね・・」
「もう90歳なんですが、一水会の顧問をしながら、まだ絵を描いているんですよ。この春
も三越で個展を開いたりして・・」そう言いながら、2枚綴りの個展のパンフレットを手
渡してくれた。
そこには出展作品の内の7枚の油絵の写真が載っており、裏表紙に作家の略歴も記載されて
いた。
東京芸大の油画科を卒業後、一水会展に入賞し、会員に。
(注・一水会とは、1936年に創設された日本の美術団体で、「日展」の有力な支持団
体。堅実で中庸をいく写実的作家が多いといわれている)
その後、様々な賞を受賞。一水会代表を10年務めて顧問となり、現在は最高顧問とのこ
と。

私は7枚の絵画を見て、驚いた。
辺り一面が黄色い枯草に覆われた平原と、それを割くように流れる濃紺の川、そしてそれ
を跨ぐ簡素な水門を描いた「湿原の水門」(20号)。美幌峠から望んだであろう、谷間
の屈斜路湖とその先に広がる黒っぽい原野、その遥か先に突き出たカムイヌプリ(摩周岳)
を描いた「屈斜路湖とカムイヌプリ」(15号)。
他に「原生湿原」や、雪原にポツリと建つ平屋の小屋を描いた「北の番屋」など、私が先
週のエッセイで書いてきた、北海道の辺境の地を対象にした絵が多いので、思わず唸って
しまった。
すると奥様が「兄は、北海道が好きで、年中北海道に行って絵を描いていました」と言わ
れた。
生まれ故郷なのか?と思ったが、略歴を見たら「1932年 満州吉林省生まれ」とあっ
た。
北海道の風景を題材とした絵が多いので、ホワイトチョコレートの製造・販売の元祖であ
る「六花亭」が目に留め、自社が設置運営する帯広市近くの中札内(なかさつない)の美
術村に「小川 游作品館」を2016年に開設したとのこと。

私は、まさかT氏の義兄が著名な画家で、それも北海道ゆかりの人だったとは知らなかっ
た。
T氏宅を訪れ、たまたま部屋の絵画に目がいったから判明したことだった。

俳画は、奥様が35年ほど前から今日まで、銀座・鳩居堂での展示会に出品を重ねてきた
一番の趣味であった(注・茶道は別物。「一生かかっても習得しきれない奥深い道ですの
で」とのこと)
それからしばらくして水彩画を本格的にやり始め、幾つかの作品展で入賞するまでになっ
てきた様子だった。
また、和歌も再度勉強し始め、今では読売新聞の「読売歌壇」に投稿し、何度か選ばれて
掲載されているほど。
「最近、茶道のお弟子さんの何人かが、もう新聞を取るのをやめましたと言うんですよ。
なぜかと言うと、暗い嫌なニュースばかりなので読まないことにした、と言うんですよ。
私も同感なので新聞をやめようと思っているのですが、歌壇に応募しても毎日目を通して
いないと掲載されているかどうか、わからなくなってしまうので、迷っているところです」
と、苦笑されていたが。

ともかく、絵画はいい。
心が和む。
最近特にそう思う。
私は、自宅を購入した30余年ほど前に、白い壁だけの殺風景な居間を飾ろうと、銀座の
画廊に飛び込み、クロード・マヌキアンの「お花畑」という20号ほどのリトグラフを購
入した。
画廊の絵画の値段はピンキリで、新車の乗用車1台分の値段もあれば、大きさと画家の差で、
公務員の月給の3分の一ほどのものもある(それでも高いが)
私はそのキリのものを買ったのだが、画廊の年配の人が「リトグラフ(注・作家認定の限
定刷りのオリジナル版画)だからこの値段ですが、これは作品としても品質的にもお薦め
できると思います」と、淡々と述べていた。
私はその言葉もさることながら、予め風景画か花のある絵がいいと決めていた。勿論、手
の届く値段で。
それがドンピシャ、店内にある様々な絵画の中で「お花畑」が1点、目について即断した
のだ。数字で6桁の値段だったが、時代は丁度バブルの余韻がある頃で、当時は支払いに
苦が無かった。
(注・その後、日本の経済は壁にぶつかり、そこからの反転攻勢もないままに空白の30
年が続き、給与も何もかもが低迷してしまったが)
その絵画は今も、居間の一隅から光彩を放っている。

さて、そろそろ美術の秋もやってくる。
・ガラス工芸作家の増田氏の「増田洋美作品展」が、今月16日から26日まで、富山市
 の画廊で開催される。
・小川游氏が顧問の「第84回一水会展」が、今月20日から10月5日まで、上野の東
 京都美術館で開催される。
・T氏、いやこれからは公的なのだから本名でいいだろう。
 故寺岡善満氏夫人の寺岡芙聖子氏の「寺岡芙聖子 俳画・水彩画展」が、10月5日か
 ら10日まで、神宮前ギャラリーで開催される。

増田氏も寺岡氏も、我が「(一社)悠友林」の仲間たち。
現代の暗くて重く沈んだ社会を切り開き、希望の光を与えてくれるのは、最早、美術、芸
術の力だけかもしれない。
まだ希望を捨ててはいけない!

それでは良い週末を。