2024年の年賀状 |
今日は2024年1月11日。 また新たな年が始まった。 ただし今年は、今までとは全く意識が異なる心境で元旦を迎えた。 「いよいよ今年は、国内外の緊張状態が臨界点に到達し始める。何が起こってもおかしく はない一年になるだろうが、それは私にとって想定内なのだ」との覚悟と諦観が心にあっ たからだ。 だが、そうした予想は、あくまでも私個人が内包しているもの。 だから、元旦は朝から我が家に子供や孫が集まり、昼過ぎまで「新年を皆で元気に迎えら れた喜び」の酒を酌み交わし、近くの神社に御礼の初詣に出かけた。これは例年のならい。 帰宅すると、「今年は数通かな?」と思っていたが、結構な数の年賀状が届いていた(過 去で、多い年は600枚ほどあったが)。 私は一昨年の年賀状で賀状交換をやめる旨を、それまでの差出人全員に伝えていたが、そ れでも去年は100通ぐらい配達され、今年も手書きで返信するには骨が折れるほどの枚 数が郵送されていて驚いた。 どの賀状にも丁寧な添え書きや手作りの味わいがあり、まさに「虚礼」ではなく、その人 の「実礼」の真摯さを痛感した。 やはり年賀状も、実(じつ)のあるものを受け取ると、嬉しいものだ。 そこで急遽、返信をすることとし、郵便局の本局に自転車を走らせ、年賀状を多めに買い 求め、元旦早々パソコンの画面に向かい、年賀状の返信文を作成・印刷して(ただし、添 え書きなし)、午後3時半頃には全ての年賀状を投函し終えた。 だが、ホッとして自室で音楽を聴いていたら、午後4時頃、突然グラグラと家が揺れ出し 「これは地震だな。次にドカンと来るか?」と身構えていたが、いつまでもユラユラとし た揺れがとまらない。不気味になり、1階に降りてテレビを付けると「能登半島で震度7 の地震発生」というニュースがテロップで流れていた。 そして元旦の夜のテレビは、各局とも「能登半島地震」のニュース一色になり、それが未 明まで続いていた(今日まで毎日流れている。今日時点で213人の死亡者数、倒壊・焼 失家屋多数、2万人以上の避難所生活者数)。 異様な元旦から一夜明けた2日の午後6時頃。 今度は「羽田空港における航空機衝突・火災事故」が勃発し、その事故現場の状況がテレ ビ各局から中継されていた。 時折、その他のニュースになると「イスラエルによるパレスチナのガザ地区攻撃で、連日 多数の民間人死者」という痛ましいニュースが流れていた(今日時点で、2万3千人以上 の死者) 新年早々、こうした暗いニュースを取り上げるのは不本意だが、元旦から立て続けにこの ような痛ましい事件が起こることが、今年の現実なのだと我が肝に銘じながら、備忘録と して下記の文章と共に書き記しておくのです。 一方、私個人としての今年は「77歳の喜寿。結婚50年目の金婚式」にあたる佳き年。 どちらも、誕生日は10月1日並びに結婚式は10月12日と、10月。果たして・・・! 少なくとも今年の秋までは、平和な日々が続くことを願うばかりです。 それでは良い週末を、良い一年を。 (年賀状の返信文) 『悲しみに負けてはいけません。 生きている間は、充実した毎日を送ることが 人間としての義務なのです。 これは、作家の宇野千代氏(享年98歳)の言葉。 拝復。新年おめでとうございます。 私にとって77歳になる今年は、今までの人生で一番 「波乱に満ちた年」になる予感がしています。 日本でも世界でも「消滅と新生」の様々な衝撃的な 出来事が起こることでしょう。 きっと、辛い悲しいことも、少なくないと思います。 しかし、どの様な状況に見舞われても、生きている 限り自分の「希望」を決して見失わず、「幸せだ」と 心の中で唱えながら、努めて明るく陽気に進んで いきたいもの、と決心している元旦なのです。 御縁尊し。 本年も、どうかよろしくお願い致します。 2024年元旦 』 |