春一番の日に思い浮かんだこと |
今日は2月15日(木)。 昨日はバレンタインデーだったが、チョコレートは一枚も貰わなかった。そもそも、昔の ように集団缶詰状態の職場や空間に所属していないフリーの身だから、いつも屋根の下に いるのは家内だけ。 昔は職場の女の子が課員全員に「義理チョコ」を配っていた。これはこれで、菓子会社の 販売促進企画に乗った御愛嬌だからOK(義理チョコ用の商品があれこれデパートでは販 売されていた)だが、当時は数少ない女子職員も、今でいう周囲の「同調圧力」からやら ざるを得なかった面もあったのだろう。。 しかしその後、菓子業界の戦略だろうが3月14日を「ホワイトデー」と称するようにな った。チョコを貰った男性は、この日に、それが義理チョコ一つでもプレゼントしてくれ た女性にクッキーなどを返礼することが習わしとなった。 だから今度は課内の男子が一人500円(後年は1000円ぐらい)づつ出し合い、お菓 子と高級ハンカチなどを返礼していた。 私はこの辺りの頃から、こうしたやり取りが馬鹿らしくなったが、「やめよう!」とも言 えずに付き合っていたが。 現在ではこうした職場慣習は絶無だろうが(?) だが、「本命チョコ」らしいものもあった。 ある民間の女友だちから職場に外線電話が入り、その日の夕食を誘われた。 私達は日比谷公園を出たすぐのところにある日生劇場のビルの1階の喫茶店で待ち合わせ、 予約していた銀座の「三笠会館」に入った。 席につくと、女友だちは今なら「GODIVA(ゴディバ)」並みのチョコレートの箱を渡して くれた。だがその場では開けずに「ありがとう」と言って、白ワインで乾杯し、愉快に雑 談した。 店を出て、私たちは2月の冷たい夜気の漂う日比谷公園に戻り、人気のないテニスコート 脇の石の階段に座った。 知り会ってから2~3回のデートだったが、比較的に楽しく、お互いに親しく会話が出来 た。 だからだろうが、私はさりげなく横の彼女の肩に手を置き、接吻をしようと顔を近づける と、「待って。結婚してくれる?」と真顔で私の目を見つめたので、私は絶句して、顔を 離し、コートの向こうの常夜灯に浮き上がる木々に目を目をそらした。 「まだ、そんなことは考えていないよ・・」 「そうね・・」 「結婚を前提としないキスがあっても、いいんじゃないかな・・」 「私は、それは嫌だわ・・・」 二人はしばし沈黙したあと、席を立ち、どちらからともなく有楽町の駅に向かって歩いて行っ た。 駅での別れ際、彼女はにっこり笑って「今日はご馳走様でした」と微笑んでお辞儀をした。 私も「チョコレートありがとう・・気を付けて・・」と言って右手を挙げた。 帰宅して、箱のふたを開けると、愛をほのめかす一言が書かれたカードが入っていた。 チョコレートの味は苦かったのか。いや、甘くておいしかった。その後、お互いに電話を することは無かった。 昨日は、「そんなこともあったな」と、ほろ苦くも甘さの余韻もあった当時のバレンタイ ンデーを想い出していた。 そしてコンビニで買った「カカオ70/カレ・ド・ショコラ」(森永製菓)とコニャックが 入った「Bacchus・バッカス」(ロッテ)のチョコレートを食べながら、源氏鶏太の青春恋 愛小説「二十歳の設計」(集英社文庫)を読んでいた。 直木賞作家の重鎮だった源氏鶏太氏は、もともと住友商事に長年勤めていた(注・勤続 25年。最後は本社総務部次長)サラリーマン作家だったので、若いサラリーマンやOL を描いた爽やかで痛快かつユーモラスな小説を、確か100冊以上出版されていた。 この「二十歳の設計」は、1960年に月刊女性誌「マドモアゼル」に連載された小説で あるが、それを365頁の文庫本として1979年(昭和54年)に発行された。その今 から45年前の本を、いま私は手にして楽しんで読んでいるのである。 本の解説を書いた、「レモンちゃん」こと落合恵子氏は、冒頭でこう述べている。 「女の時代で、あるそうな。新聞が雑誌が、テレビがラジオが、そう言っている。ホント かしら?(略) 男と女の違いという言葉に、すべて下駄をあずけでしまうのは、余りにも短絡的であり、 オプチミスティックすぎる。もっともっと、個人差という視点や言葉を活用してもいいの ではないだろうか。 『二十歳の設計』は、そんな視点から味わうこともできる一冊だ。」 そして私が源氏鶏太の小説が好きな(注・といってもそれほど読んではいないが)点を、 彼女がズバリ評しているのが、次の言葉。 「皮膚をチクチク刺すような、やたら刺激的な小説が多い昨今、なぜ『二十歳の設計』が、 こんなにも支持されているのか(注・単行本になった『二十歳の設計』は四十数版を重ね ている) テーマも登場人物も、めったやたらに翔んではいない、地に足をつけたものであるからで はないだろうか。 どこにでもいそうな、けれどやはり、この世に一人しかいない杏子(注・主人公)をはじ めとする、一見平凡な、けれど非凡な若者像。(略) この本が、時を超え、時代時代の若者に愛される理由は、そこにあるのだろう」 若い頃、まさに社会の巷でバレンタインデーの名前を聞いたころから、私は「堂々たる人 生」「爽やかな若者」等々、源氏鶏太の青春小説を読んでは、「そうだ、人生意気に感じ て、当たって砕けろだ!」などと発奮して、勤務時間中に職場を抜け出し、日比谷公園の 公衆電話ボックスで10円玉を3枚握り、ほのかな愛情を抱いていた女性にドキドキしな がら電話をしたりしていたのだ。 その源氏鶏太の小説が、最近、無性に読みたくなったのだ。 この1月は、前述した日比谷公園でデートを重ねるシーンが頻繁に出てくる、連続テレビ ドラマの「3人家族」全25巻を、DVDで観終わった。 主人公は竹脇無我(田村町にある総合商社に勤務)と栗原小巻(霞が関ビルにある航空会 社のサーヴィスカウンター勤務)の見知らぬ二人が、偶然に何回も出逢うことから生じる 恋愛ドラマ。 1968年(昭和43年)10月からTBSで「木下恵介アワー『3人家族』」として放 映が開始されたが、平均視聴率30.7%という驚異的な視聴率を上げた人気番組だった。 私が21歳になったばかりの時で、当時、私もよく観た。二人の付き合い方がとても好感 が持てて勉強になった。 今はどこのテレビ局でも、こうした若者の純粋で爽やかな青春恋愛ドラマを放映している ところは全くない。社会には、映画にしろテレビにしろコミックにしろ小説にしろ、人の 心を驚愕させて突き刺すような「きわもの」作品ばかりが溢れているように、私には思え る。 さらに中には高校生頃からは手軽に、インターネットで男女の「エロ・グロ」の画像や動 画を見ている者もいるだろうし、お笑いの世界は相手をおちょくったり、ドヤしたりして 笑いを取る者が多い。 こうした文化に囲まれて洗脳されながら、中学・高校・大学受験、さらに就職試験のため に学校や塾や習い事に日々の時間を費やしていたら、私から見たら二度とない人生の貴重 な「青春時代」など、全く味わえない気がするが。 さらに大学を卒業しても、「他の人に勝るその人ならではの強み・価値という知識・技能 ・指導力などのマンパワー」でなければ、採用も継続雇用も成長も難しくなる。 古い言葉でいえば、「成果主義」という従来の資本主義の競争原理が働く限り、退職する まで競争に明け暮れる毎日になる。 本当に「君たちはどう生きるのか?」と心配になる。 (注・今後、生成AIで企業や行政文書案等の文章の作成、翻訳、会議記録の要約や企画の アイデアや画像創作。さらに客への案内・対応サービスを行う自動ロボット等が普及する ので、役所も企業も今までの人手のいる作業の大半は不必要になるだろう。) 今日は朝から晴れていたが、現在(午後3時)の空は曇り時々晴れ。 強い風が間断なく吹きすぎてゆく。 どうやら、東京にも春一番が確認されたようだ。 今は地元の喫茶店で、珈琲を飲みながら朝日新聞を読んでいる。 「裏金 『説明責任促す』首相答弁」が第1面のトップ。 今後の国会審議は、当分、政治とカネの問題でダラダラと進むのだろう。 これも昔なら、とっくに内閣は総辞職し、総選挙となっていただろう。 この問題は自民党の集金体制の根幹にメスを入れることになり、まさに自民党的政党政治 の在り方が問われてくる大問題だが、それにしては 野党のもう一押しが、いつもない。 悠長。やはり指導者も議員も弱い。 その記事の横に「ベア要求 歴史的高水準」とある。 労組の中央組織・連合は、3%以上の上昇を目標にしている。 これで「歴史的」なのだから、やはり日本の企業の足腰はぜい弱なのだろうか。 私の頭にあるのは、1974年(昭和49年)の国家公務員のベースアップが、確か 29.6%だったこと。 給料の約3分の1弱もアップしたのだ。 これはありがたかった。 なぜなら、この年の10月に私は結婚したから。 50年前の出来事だが、ほんの少し前のことに感じられるのは、それだけインパクトがあ ったからだろう。 そんなことを追憶していました。 外は相変わらずの薄曇りの天気。 気温は20度ぐらいで、風がやみません。 これからゆっくり、生ぬるい風にあおられながら、歩いて帰ります。 いずれにしろ、今年の春は駆け足でそこまで来ています。 それでは良い週末を。 |