大谷選手とドジャース(2) |
大谷翔平選手は、MLB(メジャーリーグベースボール)におけるFA権(出場選手とし て通算6年に達した選手に与えられる、他球団と自由に契約できる権利)を行使し、 MLB加盟の30チームの中から、移籍先として「ロサンゼルス・ドジャース」を選んだ。 MLBは「アメリカンリーグ」と「ナショナルリーグ」の2つのリーグからなる。そして それぞれのリーグはさらに3リーグ(東地区・中区・西区)で構成され、各地区には5球 団が所属している。 ドジャースは、ナショナルリーグの西地区(5球団の中には、宿敵、サンフランシスコ・ ジャイアンツも所属) 日本のプロ野球は「セリーグ」「パリーグ」のそれぞれに6球団があり、全体で12球団。 しかしMLBでは5球団×6地区=30球団もある。 だから優勝といっても、地区優勝→リーグ優勝、そしてワールドシリーズ優勝と3ランク もあり、Wシリーズで優勝するまでには多くの熾烈な試合を勝ち進まねばならない。 だが、優勝の対価として、チームのステータス(社会的評価)が上がり、ファン(来場者) の増加による入場料収入や関連グッズ販売収入・TV等からの放映権収入・スポンサー収 入などの増加も見込まれてくる。 当然、MLB全体がスポーツ・ビジネスであり、各球団も常に経営戦略を見直しながら増 益を図ってゆく。だから、選手年俸の大幅アップや巨額の契約金により、有力プレーヤー の確保が可能となり、より良い戦力の強化が可能となってくる。 大谷選手がMLBで伝統のある屈指の名門チーム、ロサンゼルス・ドジャースに入団した ことは、ドジャースにとっても大谷にとっても長年の悲願達成であろうし、私はこれ以上 ないマッチングだと思った。 ここで、MLBでの大谷選手の主な実績を上げると。 ・2018年→「エンゼルス」で投打の二刀流で活躍し、日本人4人目の新人王に。 ・2021年→2001年のイチロー以来、日本人史上2人目のシーズンMVPに。 ・2022年→ベーブ・ルース以来約104年ぶりとなる、「投手で2桁勝利・打者として 2桁本塁打」を達成。近代MLBにおいて投手と打者の両方で、規定回数に達した初め ての選手に。 ・2023年→WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、日本代表チームのエ ース兼打者として活躍。WBCのMVPに。 MLBのシーズンでは、日本人初の本塁打王に。また2回目のシーズンMVPに。 以上が、大谷選手のMLB在籍6年間の主な功績。 2023年11月23日。 MLBの公式サイトでは「大谷翔平が最も必要な球団ランキング」を掲載した。それによ ると。 ・1位→ジャイアンツ(ナ・リーグ西地区。ナ・リーグ最低の長打率で、魅力的なスター 選手を必要としている) ・2位→マリナーズ(ア・リーグ西地区。先発投手は揃っているが打線が弱い) ・3位→・ブルージェイス(ア・リーグ東地区) 次に、米スポーツ専門メディアは、次の通りのコメントを出している。 ・1位→ドジャース(資金面には問題ない。(大谷選手が)2024年にしなければなら ないことは、打者として打ちまくること。投手としては右肘が治る2025年か らでいいと、ドジャースの監督が明言していること) ・2位→レンジャーズ(大谷選手にとって、優勝することが最も重要なことであるならば、 Wシリーズの覇者と一緒になること以上のことはない) ・3位→レッドソックス(大谷選手はボストンを訪れるのが好きで、ボストンに本社を置 くアパレル会社と、コマーシャル契約を結んでいる) MLB機構としては「チームの願望」を推察し、メデイアは「本人の心情」を推察したの だろうが。 結果、メディア予想のドジャースは当たりだった。 2023年12月1日。 大谷選手はロサンゼルス・エンゼルスからFAとなり、多くの球団との交渉が始まった。 特に、イチローがいたマリナーズが熱心だった。 資金面で有力と言われていたメッツは、候補にも挙がらなかった。 ジャイアンツはドジャースと全く同じ条件でオファーを出したと言われており、ブルージ ェイズは最終候補に残ったと言われていた。 様々な監督のインタビューや憶測が流れる中、2023年12月11日、ドジャースは 「大谷翔平と10年契約を結んだ」旨を公表した。契約金総額7億ドル(2024~2033年)。 年俸に換算して 7000万ドル(日本円で、現在価格では@150円×7000万=105億円)。 メジャー史上で最高額、北米スポーツ史上で最高額の契約だった。 (ちなみに、歴代日本人メジャーリーガーの最高年俸は、ダルビッシュ有が約28億円、 イチローが約20億円、松井秀喜が約14億円だった) そして12月15日。大谷選手はFA後初めての記者会見をし、こう述べた。 「選手としての自分を信じてくれたドジャースの皆さんに、感謝します。明確な勝利を目 指すビジョン、豊富な歴史を持つドジャースの一員になることを、心から嬉しく思うと同 時に、興奮しています」 「勝つことが今の僕にとって一番大事なことだと思うし、優勝に欠かせなかったと言われ る存在になれるように、全力で頑張りたい」 「(ドジャースを選んだのは)ここでプレーしたいという気持に素直に従った」 前述の言葉などから、大谷選手がドジャースを選んだ理由として次のことが推察できる。 ① 前述したように超大型(史上最高)契約額を提示してくれたこと(球団の熱意のバロメ ーター)。 ② ドジャースは2013年から10度の地区優勝を成してポストシーズンに進出している 常勝軍団だが、リーグ優勝は2017、2018、2020年の3度。そしてワールド 制覇は2020年の1度。 「あと一歩及ばず」の状況にあるので、大谷選手にとっては「プレイのやり甲斐」があ ること。 ③ ロバーツ監督は、沖縄生まれで、母親が日本人であること。 またドジャースは、大谷選手が花巻東高校1年生の時から、熱心にスカウテイングして おり、大谷選手も高校卒業後はドジャース入りの意思を固めていた。だが、2012年 に日本ハムからドラフト1位に指名され、球団幹部等が数度岩手を訪れたが難航。そし て最後は、ドラフトで1位指名した際に「大谷君、申し訳ない。日本ハムで指名させて もらった」とメデイアに本音を語った栗山監督が、直接会って熱心に説得。結果、 2013年に日本ハムに入団を決定したが、数年たって身体を作ってからMLBに移籍 する方針は、栗山監督も大谷選手も確認していた筈。こうしたことから、将来の希望は ドジャースだったと推察されること。 ④ 2022年から、ドジャースのナ・リーグも、指名打者制を導入。 先発投手と指名打者の二刀流が可能となったこと。 ⑤ チームドクターは、大谷選手が昨年9月に右肘の手術を、2018年10月に右肘の手 術を受けている医師であること。 さらに、これらの手術後、リハビリの指導を受けてきた理学療法士もいること。 ⑥ ドジャースは、昔から日本のプロ野球界と親密だったこと。 ・1956年→「ブルックリン・ドジャース(当時はニューヨーク市ブルックリン区を 本拠地としていた。1958年に西海岸のロサンゼルスへ本拠地を移した)」が、戦 後、メジャーリーグの中で最初のチームとして(?)訪日。1か月滞在して日米親善 試合を行っていた。 ・1966年→「ロサンジェルス・ドジャース」が、2度目の来日。 ・日本のプロ野球で日本シリーズ9連覇を成した「読売巨人軍」は、ドジャースがフロ リダのベロビーチで行っている合宿に、5回参加している。 ・当時の巨人監督・川上哲治氏はドジャースから「ドジャースの戦法」という野球の技 術・指導方法の理論を学び、その要諦である「スモール・ベースボール」を試合に取 り入れた。 守り勝つ野球。投手・野手は失点を最少限に防ぎ、打撃陣は犠打やヒットエンドランや 盗塁などの機動力・小技を駆使して、1点でも確実に得点する野球だ。 その様に、ドジャースは日本人にとって馴染みの深い球団だった。 以上。 話が少し先走るが、大谷選手にとって移籍後初のシーズンとなる今年の目標は、勿論打者 として、首位打者、打点王、本塁打王のタイトルを狙うだろうが、私は「40-40」も 目標に掲げているのではないか、と思っている。 それは40本塁打と40盗塁の達成。 過去147年間のMLBの歴史で、「40-40」を達成した選手は、わずか5人とのこ と。 昨シーズンの大谷選手は、投手と指名打者の二刀流でも「44本塁打、20盗塁」をあげ ていた。 シーズン・オフでの大谷選手のトレーニングを、テレビで何回か観たが、スタート・ダッ シュの訓練を何度も行っている光景にハッとした。 「今年は盗塁王も狙っているのでは」と。 彼は小さい頃から父親のコーチで野球の練習や試合を行っていたが、その当時、「野球ノ ート」という父と息子の交換日記 を行っていた。 小さなサイズのノートに、感じたことや思ったことを正直に明るく気軽に書いていたそう だ。 父親(コーチ)から書き込まれる言葉には、常に次の3つの教えがあったそうだ。 それは、①「大きな声を出して、元気よくプレイする」 ②「キャッチボールを一生懸命に練習する」 ③「一生懸命に走る」 特に、③については「野球は走るスポーツである。力を抜かずに最後まで全力で走ること」 という教えだ。 大谷選手は「今でも覚えています。特に全力疾走は、そのこと自体に意味がありますけど、 その取り組む姿勢にも大きな意味合いがあると思っています」と語っていた(東洋経済ONLINEから) 大谷選手は、天性の精神的・肉体的な素質に恵まれた天才のように見られがちだが、基本 的には良き親や先輩や偉人の教えを「素直に聞く力」「正しいと思ったことは計画的に確 実に実行する力」が優れていたのだと思う。この素直な心を有していたからこそ、精神力 も体力も技術力もスクスクと育っていったのだろう。 そうしたことがスムーズにいったのは、両親を始め「良き縁」があったからだと思わざる を得ない。 前回でも述べましたが、この「いつ何が起こってもおかしくはない、異常な国内外の薄暗 い状況」にあって、多くの国民の輝く希望の巨星である大谷翔平選手には、今シーズンも 健やかに活躍されることを、ただただ大宇宙の星々に祈るばかりです。 私達の春が、またやってきます。 それでは良い週末を。 |