13年前の書評(若月俊一対話集)
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今回は、今から13年前の2011年3月1日に発行された月刊誌「文化連情報」(発行 ・日本文化厚生農業協同組合連合会)から、書評を転載します。 この書誌の発行日から10日後、あの悲惨な「東日本大震災」が発生しましたが、私は余 りの出来事にこの書評を読み返すこともなく本棚の奥に置いたまま、今日に至りました。 今回、何気なく手に取って見ると「明日への希望の息吹」という書評の標題を付していた ことに驚きました。 あの大震災から13年経過して、今度は「令和6年能登半島地震」が発生。関東近辺を始 め、日本列島は至る所でぐらつき始めています。さらに世界中の多くのところで戦火が上 がり、第三次世界大戦がいつ何時に勃発してもおかしくはない緊張感が高まっています。 しかし、日本国内は相変わらず自民党の裏金問題一つでも未だに整理が出来ず、グダグダ と多くの時間と労力を費やすだけの、政治機能が麻痺した状況。 そもそも政治家の中で、岸田首相に代わって「国の舵取りを託したい指導者」が、与野党 にわたり全く見当たらない。 また「我こそは」と打って出る信念と気概のある政治家が、与野党ともに全く出てこない のですから、本当に政治も劣化したものです(アメリカや独裁国も同様ですが)。 戦後79年間にわたってつづいた平和な日本。 だが、戦争体験のない豊かな生活の中でさらに甘い汁を吸おうとする政治家たちの下、国 民も平和ボケが続き、日本の政治や経済や社会に対して何も希望を持てず、批判もせず、 無関心・無気力・無作為になり、生きるために食い(注・テレビは食い物の番組ばかり)、 食うために止むを得ず働いている者が多い状況に映ります。 それが、たとえつまらない仕事でも、辛い仕事でも「仕方がない・・」と。 そうした毎日を続けて、果たしてその先に何が待っているというのだろうか・・・。 唯一、国民の多くの希望は「大谷選手のこと」だけだろうか。 だとしたら、日本の状況は極めて危うい。大谷選手にもし何かアクシデントがあったら、 その希望は一瞬にしてへこんでしまう。 大袈裟に言って日本国民は更に「無気力・無関心・無作為」に陥ってしまうだろう。 ともかく、今は2024年3月。 私は、生きる者にとって最後まで命と同等に大切なことは「希望」だと確信しているので す。 2011年3月の標題と同じです。 内容は少し異なりますが、どうか「書評」をご笑覧ください。 それでは良い週末を ![]() ![]() |