東井朝仁 随想録
「良い週末を」

桜の木の下で (再掲載)
今日は2005年4月8日。
各地から桜便りが届きます。
今朝のテレビでは、福岡、高知、京都、東京などの桜が満開。特に東京千鳥が淵の桜は、
お堀の水面を埋め尽くすように枝が垂れ、びっしりと咲き誇っています。
見事の一言。
ここ三重県津市のJAビルの周辺では、満開の木もあれば、まだ三分咲きの木も。
先週帰京した際に、世田谷の自宅周囲を散策すると、若く細い桜木は五分咲きで、大樹の
それはピンクの蕾が開く寸前でした。
同じ地域の同じソメイヨシノでも、早咲きと遅咲きがあるようです。
人間と同じでしょうか。早熟もいれば大器晩成も。
得てして神童と呼ばれた人が成人してから伸び悩み、反対に若い頃に凡庸のような人が長
じて功名を立てる例も少なくないようです。
いずれにしろ桜の花は、開花の早い遅いはあっても、1週間ほどで満開になり、すぐにハ
ラハラと散ってしまいます。
儚いほどの短い栄華。
散る桜、残る桜も散る桜。
これも人生と似ています。

話はちょうど1年前の夜のこと。
私は去年の3月31日付けで長年勤務した厚生労働省を急遽退職し、4月1日付けで三重
厚生連に就職しました。
旅立ちの日。
東京駅を発車した新幹線が徐々にスピードをあげ、春霞にたゆたう城南の街を通過してい
きます。殆ど散り終えた桜(東京の開花は早い)の木が、車窓の向こうに流れ去っていく
のを眺めていると、チョッピリ寂寞感が。
「行ってくるよ。さらば東京」
そして着任早々、賃貸マンションの入居が決まっていなかったので、駅前ホテルに仮住ま
いしながら連日の挨拶回り。一段落して迎えた本部の歓送迎会。
それがちょうど1年前の4月9日(金)の夜でした。
1次会が終了したあと、若い連中と2次会へ。お互いに未知の者に対する身構えたような
緊張感は消え去り、程よい酔い心地で3次会へ。
その道すがら、小さな公園の桜の木を発見。
たった二本の桜の木でしたが、素晴らしい枝振り。
静かな名もない児童公園に、密やかにそれでいて、夜目にもあでやかに咲き誇っています。
私は8名ほどの若き有志に声をかけ、街灯の光に淡く浮かぶ夜桜の下に。
デジカメでの記念撮影です。
思い思いの心境で、パチリ。
そしてその時に口に出た言葉。「来年の今頃、この桜の木の下に同じように立っているだ
ろうかなあ」。
すると「なぜですか?」と。
「途中で嫌になって、東京に帰ってしまうかも知れないしなあ」
「そんなこと、言わないでくださいよ」
「そうだよな。1年後また、この木の下で写真をとろうな」
社会人1年生のような、先行きへの不安と期待が入り混じった気持を抱きながら、そう呟
いたのが、昨日のことのようです。

あれから、1年が経ちました。
あの公園の桜は開花したばかり。
去年よりだいぶ遅いようです。
しかし、早かれ遅かれ必ず咲くのが天然の法則。
「明けない夜はない」ように。
だからすべからく慌てずに、待つときはじっと待ちましょう。
人間の悩みなど、時間が解決してくれることが殆どなのだから。
今はただひたすら、待望の満開の桜を満喫するのみ。
さて、今夕は帰京。
明日は駒沢公園の桜、明後日は早稲田大学の大隈庭園での花見。
そして来週の夜は、あの公園の桜の木の下に、人知れず佇んでみることにしましょう。
左手に缶ビールを、右手に夢の蕾を握りしめながら。

それでは良い週末を。