災害発生確率は?(2)
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人生とは、人と人、人と自然、人と社会との関係によって生じる様々な事象により成り立 つもの。 特に、本人としては殆ど不可効力の災害などは、その発生を少しでも予知・予測して身を 守ることをしないと、まさに生活や生命にかかわる被害をうけてしまう。 だが、「災害」といっても、地震や台風や集中豪雨などの「自然災害」だけではなく、交 通事故・殺傷事件からテロ・戦争に至るまでの、人の仕業による様々な「人災」もある。 そこで今回は、私の間近なところで起こったテロ事件という2つの人災について述べてみ ると。 一つは、1971年(昭和46年)12月24日午後7時10分ごろに起こった「新宿ク リスマスツリー爆弾事件」。 新宿の伊勢丹百貨店前の交差点にある交番が、時限爆弾で吹っ飛び、交番の警察官が瀕死 の重傷、通行人6人が重軽傷を負った。 交番裏に置かれた紙袋に入った50㎝ほどのクリスマスツリーが爆発したのだ。 私はその時、交番の真ん前に建つビルの4階のパブで酒を飲んでいた。飲み始めてからほ どなくして、ドンッという地響きのような音が上がり、ビルが一瞬揺れた。「何だ、地震 か?」と店内を見渡したが異常はない。他の客(クリスマスイブなので若いカップルが多 かった。私も24歳だったが)も、驚いた表情で立ち上がってあたりの様子を窺っていた。 だが、それ以上は何事もなく、クリスマス音楽のBGMが静かに流れる中、誰もが安らか な雰囲気の中でクリスマス・イブのひとときを楽しんでいた。 私はウイスキーのハイボールを立て続けに飲み干し、「他の店に行こう」と相方を促し、 8時過ぎに席を立ち1階の出口に降りた。舗道の右側に交番があり、そこの横断歩道を渡 ると伊勢丹百貨店がある。 外に出ると、火薬の臭いが鼻を突いた。あたりは異様な雰囲気で、立ち入り禁止の黄色い 紐の内で警察官が現場検証をしていた。 私は紐でビル側にわずかに区切られた舗道を辿り、交番の横をすり抜けて退散したが、ま だ硝煙があたりに残っていた。 伊勢丹前の見物人に事情を聴くと、過激派による爆弾テロだったことがわかり、驚いた。 「危なかった!」と。 なぜなら、時限爆弾が爆発した7時10分(警視庁発表)の、ほんの10分ほど前に、私 は交番の横を通っていたのだ。私の記憶では、何気なく交番を見やりながら通り過ぎたの だが、その時に、交番の自転車どころか全く何もない交番の横に、ぽつんと紙袋が一つ置 かれていた光景が、妙に違和感を持って脳裏に残っていた。 当時は極左集団(過激派)による爆弾テロが続発しており、半年前の「明治公園爆弾事件」 後、警視庁は「非常事態」を宣言していた。改めて、爆弾テロなどが都民の身近なところ で起こる社会状況にあることを痛感した。 もう一つ。 これはご存じの方が多いと思うが、1995年(平成7年)3月20日(月)に起こった 「地下鉄サリン事件」。 宗教団体・オウム真理教の信者らによる同時多発テロ事件で、朝8時頃に、官庁街の主要 駅・霞ヶ関駅を通る地下鉄「日比谷線、丸の内線、千代田線」の電車内で、神経ガス・サ リンが散布された。 まさに、大都市における化学兵器による無差別殺人事件だった。 これにより、乗客や駅員、さらには被害者の救助にあたった人々にも被害が及び、全体で 死者14名、負傷者約6300名という多数の被害者が出た。 私はこの日の朝、何となく早く目覚めたので、何となく早めに家を出た。霞が関の厚生省 (注・厚生労働省発足は2001年)に着いたら省内の喫茶店で珈琲でも飲もうと考えな がら、日比谷線の恵比寿駅から乗車したのは、確か8時を少し回った時間だった。 なぜなら、私の乗車した列車の一本前の列車(始発の中目黒駅7時59分発)が、日比谷 線におけるサリン散布の標的車両だったからだ。 中目黒→恵比寿→広尾→六本木→神谷町→霞が関と走るが、発車間隔は長くて5分程度、 駅間の所要時間は3分程度。 だから私が乗った電車は、恵比寿駅に8時7分前後に着いているはずだ。 電車はいつものように順調に走り、六本木に着いた。 そして乗り換えがすみ、電車は何事もなく発車した。 その時、前を走る電車内では「六本木駅―神谷町駅間で、異臭に気づいた乗客が窓を開け たが、複数人が倒れた。神谷町駅に到着後、乗客が運転手に通報し、被害者は病院に搬送 された」という事態が発生していたのだ。 そして、その電車は「後続電車が六本木を出発したため、散布された先頭車両の乗客を後 方車両へ移動させ、霞が関駅まで走行し、運行を停止した」のだった。 私の乗車している電車では、六本木駅を発車後、すぐに徐行運転に代わり、車掌の「前の 電車が遅れていますので、この電車も徐行運転をしております」という車内放送が流れた。 そのうちに完全に停止し、ようやく10分後に「前の電車が事故で霞ケ関駅に停車してお ります。日比谷線は運行を全面停止しますので、恐縮ですが乗客の皆様は次の神谷町駅で お降りください」との放送。 仕方が無く私も神谷町で降車し、虎ノ門を経由して朝のウオーキング気分で霞が関に徒歩 で向かった。 その時は「早く出てきて良かった」とタイミングの良さに感謝する余裕があった。だが、 虎ノ門の文部省前を通過してから、空を行き交う何機ものヘりコプターの大音響と、夥し い数の救急車や消防車がサイレンを鳴らして集結してくる異様な光景に、ド肝を抜かれた。 何か大変な事が起こっていると気づいた。 足を速めると、大蔵省前の舗道や緑地帯に、霞が関駅の地上出口から次々と担架で担ぎ込 まれた人が横になり、白衣を着た人や消防署や警察の職員やその他の背広姿の人々に介抱 されていた。 私は「一体何事が起ったのか!?」と唖然とし、急いで職場に駆け込み、テレビをつける と速報で「地下鉄テロ事件」のニュースが流れていた。 その後、日比谷線の電車でのテロで、2人が死亡、532人が重症を負ったことを確認し、 しみじみと「紙一重だった。危なかった」と痛感した。 それまでの平和国家日本においてテロの発生確率など稀有なものと誰もが考えていたが、 社会状況は変わってきたと思い知らされた。さらに「無差別」「連続多発」などの「大量」 殺戮テロが世界中で勃発してきたので、国民一人当たりの被災確率も右肩上がりになって いくのだろうとも思えた。 このサリン事件の6年後の2001年には、国際テロ組織アルカイダによる「アメリカ同 時多発テロ」が勃発し、世界貿易センターの高層ビル2棟などが旅客飛行機の激突自爆テ ロで崩壊し、多数の死者が出た。 ちなみに、私はこのセンタービルに飛行機が激突した瞬間を、出張中の滋賀県水口市のビ ジネスホテルのテレビで観た。 ちょうど、NHKの9時(10時?)のニュースで、現地ニューヨークのセンタービル近 くからの生中継の最中だった。 何か、映画を観ているような、異次元の光景だった。 だが、当たり前のことだろうが、色々な災害が近くで勃発し、遠くで頻繁に起こってきた が、その被災者の悲惨さを十分に想像は出来ても、恐さを実感できるといったら噓になる だろう。 能登半島地震に始まった今年の日本各地での自然災害による「被災者」や、連日ずっと続 いているロシアのウクライナ侵略戦争やイスラエルのガザ地区侵攻による夥しい死者や重 軽傷者や住居を焼け出された被災難民などの「戦争被災者」など、テレビを観ていたたま れないほどの気分に陥るが、美味い酒を飲んでご飯を食べ、大谷選手のホームランを観た ら、すっかり忘れている。 また忘れる時間を持たないと、現在の世の中では自分の心身の健康がやられてしまうから、 それも生存本能の成せることなのだろうが。 程度の差はあれ、災害の当事者・被災者でしか、本当の災害の怖さや辛さや悲惨さはわか らないだろう。 だからといって、こればかりは「何事も経験」とはいかないし、あってはならない。 人生は、人と人、人と自然、人と社会、そして人と事象との関係で、喜びや悲しみ、幸福 や不幸が生まれて消えていくものだと思う。 災害を不可抗力の事象と諦めず、せめて自然災害や人的災害の発生確率と被災確率を少し でも下げる努力を、今こそ人類の英知を結集し、世界各国が連帯して行っていくべきだ。 しかし現状は、どこの国も「自国(分)ファースト」がまかり通っている。国の中枢は 「いまさえ、カネさえ、自分さえ良ければ」といった指導者ばかりに感じる。 地球の過熱化・異常気象化による自然災害も、元凶は人類だ。 テロや内乱や戦争なども人的災害だ。 でも、どの国も「自己利益・自己防衛・自己本位」が第一。 一体どうしたらいいのだろうか。 私にはわからない。もうすこし若ければ知恵もエネルギーも湧いてきただろうが、もはや 知れている。 わかることは。 災害発生確率はうなぎのぼり。 今夏の「命に危険な」猛暑は、今後も深刻化を増していくだろう。被災確率も年々災害の 規模が大きくなって高まる一方。 国民社会の分断が進み、国民の生活格差が拡大すると、詐欺や強盗傷害事件や怨嗟の騒乱 事件の発生など、治安が悪化し社会は荒廃していく。政治への不信も高まり、政府の統治 力も失せていく。 すると国家中枢の一部は、警察や自衛隊などの強権力を行使し、独裁的な政治を断行し、 国民の自由・平等・主権などといったことを抑制し、活路を国外に求めて戦争をも厭わな い主張が跋扈する可能性がでてくる。その前に仮想敵国から攻められる可能性も大。 戦争が起きれば、勝っても負けても直接的・間接的に多くの参戦国民が被災する。世界各 国の軍備拡張競争のエスカレートにより、被災地域は増加・拡大する。核ミサイルが飛び 交う戦争になると、全人類が被災していく。今や戦争被害を受ける世界の人々の確率は、 際限なく100%に近づいている。 今までは「時間が解決する」と、悠長に成り行きに任せていたが、もはや「待ったなし」 の情勢であることは、間違いない。 話はここで結語に。 私の人生も、いよいよ最後のホームストレッチに入ってきました。 1年、1か月、1日が貴重な時間です。 だから、「どうしたらいいかわからない」問題でも、自分の命のエネルギーがある限り、 考え悩みながら、日々を悔いなく爽快に生きていきたい、と念じているのです。 それでは良い週末を。 |