22年前の2月の随想
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《 散華の花びら 》 2003年2月7日掲載 柔らかな陽光を浴びて、河原の枯草が黄褐色に輝いて見えます。 東武日光線の快速電車が、鈍い軋(きし)みをたてて渡良瀬川の鉄橋を通過していきます。 乗客がまばらで、あくびが出そうなほどのんびりとした車内。私はそこだけがらんと空い た車両の一番隅の席で、「志」として渡された紙袋から清酒の一合瓶を取り出し、蓋に冷 たい酒を注いでそっと口に運びます。車窓に流れる風景をぼんやり眺めながら。 昼食をとっていない腹に、酒が沁みていきます。 今週水曜日の昼下がり。かっての職場で一緒だった、享年29歳の若者の告別式からの帰 りです。 詳しい死因は確かではありませんが、どうも自尽(じじん)。 かねてから精神科の治療を受けていたとは聞いていましたが、彼の心の中でどのような苦 悩と葛藤が渦巻き、何が最後の決断を促したのかは、本人以外は知る由もありません。 今まで随分と若い人の訃報に接してきました。その殆どが交通事故などの不慮の事故や、 ガン・急性心不全・くも膜下出血等の病気が主因でした。 本人の意思を凌駕する、圧倒的な運命の力に飲み込まれての夭折です。 この世に生を受けてから、人の一生は「死のゴールに向かって生きていく」のが宿命とは いえ、あえて死に急いだ彼の胸中を察すると、あわれとしか言いようがありません。 近年、我が国の経済の悪化に伴って、企業倒産やリストラによる失業者が増加しています。 また能力主義とか成果主義の名のもとに、職員の賃金カットや企業内いじめ(無能者のレ ッテルを貼っての差別、退職勧奨)が進行しているとも言われています。 こうした社会状況を反映して、先行きに不安を抱きながら自分や家族を守るために首をす ぼめて必死で働いているのが、民間企業の多くの勤労者の実状といえるでしょう。 中には借金などの経済的困窮や過度の心身の疲労から自殺していく者も増えています。 こうした一種すさんだ社会的風潮は、親方日の丸で倒産やリストラの心配がないといわれ る役所の職場には無縁と言われてきました。 だが、今年度の人事院勧告では、勧告製度創設以来初めて月例給与(月給)が引下げられ、 期末・勤勉手当(ボーナス)のカット等とあいまって、結果的に平均年間給与(年俸)を 4年連続して減少させる措置がとられました。 また、公務員制度改革に関する勧告では、行政の今後の信頼確保を図るため「セクショナ リズム、キャリアシステム、退職管理(天下り)、年功主義の見直しを公務員制度改革の 共通認識とする」として、職務、職責を基本とした能力・実績主義の確立(新たな給与制 度、人事評価制度の導入)が提唱されました。 これらの事柄は、民間と比較して遅きに失した感もありますが、公務員の待遇等が民間準 拠の建前を取る以上、止むを得ないですし、勧告の内容は文言上は概ね妥当と言ってもい いでしょう。 しかし私が危惧するのは、本省の職員、特に多数を占めるノンキャリアといわれる一般職 員達の今後の士気の低下です。 給料の引下げは忍ぶしかありませんし、まだまだ恵まれた給与水準にあるという世間から の指摘も少なくありません。 しかし、現在の給与体系とこれに連動する人事評価システムを、多数の目から見て公正で リーズナブルな体系に改正しない限り、先に述べた民間勤労者の現状と同様に、多くの職 員に不安と失望しか与えかねないでしょう。 「能力主義、実績主義」の強迫観念だけが一人歩きし、いたずらに職員間に緊張と不安を 抱かせ、上司は「石部金吉」と化して自己保身のために部下に過重な業務を負わせ、部下 は勤務評定者になるであろう上司への追従を余儀なくされ、理不尽とも思える指示でも唯 唯諾々と従わざるを得ない、そのような風潮が蔓延しないとも限りません。 連日の深夜残業を余儀なくされ、身を粉にして働く一般職員の正当な評価は鼻からお座な りになり、今後ますます一部のキャリアだけが「能力主義」の美名のもとに厚遇されるよ うな予感が、私にはするのです。 現在、我が国の社会のあちこちで進行していると評される、一握りの勝ち組と多くの負け 組への階層分化、所得格差拡大政策。「強い者をより強く、弱い者をより弱くすること。 日本をアメリカや英国のような弱肉強食の社会にしようとしている。 これが今の小泉改革だ」(森永卓郎著「シンプル人生の経済設計」)という指摘が実感を 帯びてきます。 やる気がでるか、意気消沈していくか。 この一点が公務員制度改革の重要な評価基準である、と私は考えます。 日本中が先行き不透明で元気を出せない状況(制度疲労)に陥っています。だから今こそ、 官庁が率先して不毛な職場内生存競争(情実人事の弊害等)の風潮を変え、仕事に真摯に 立ち向かえる職場、各自の能力を十分に生かす職場、業務実績が正当に評価される職場、 そして実績主義の中にも互いの能力・人格を尊重しあえる職場への変換を図っていくべき だと、私は思うのです。 仕事から金と生きがいの両方を得られたら、これぞハッピー。 しかし、せめて所得が減少しても、仕事に充実感を感じられる日々を送りたいものです。 今朝の満員電車。誰も彼も疲れた顔をして、押し黙って電車の揺れに身を任せています。 地下鉄の窓ガラスに映る乗客の顔を眺めながら、ふっと、亡くなった彼の顔を思い出して みます。 何回か酒を酌み交わす機会があったけれど、その際に見せた彼の柔和で控えめな笑顔。普 段はあまり見かけなかった、気の置けない優しい笑顔。 なぜ、年老いたご両親を残してまで、死に急いだのだろうか。どんな想いを抱いて上天し ていったのだろうか。 いまはただ、散華の花びらのようにはかなく散っていった彼の冥福を祈るのみです。 《 ようこそ花粉症 》 2003年2月14日掲載 「貴方の一回のくしゃみは良い噂をされているから、二回は悪い噂を、そして三回だった らそれは風邪。」 そんな例えも今は昔。 とめどもないくしゃみの連発となると、噂や風邪をも席巻する紛(まが)うことない花粉 症。 今年も、春の夜の盛りのついた猫の鳴き声のように、悩ましくて煩わしい花粉症の季節が やってきたようです。 先週の土曜日、比較的暖かな陽気に誘われて街を散歩しましたが、その夜、布団にもぐり こんで本を読んでいたら、急に鼻がむずむずして、くしゃみが。 例年、私の場合、花粉症の症状が出始めるのが2月下旬から3月上旬にかけて。 今年もそんなものだろうと高をくくっていたら、パールハーバー、湾岸戦争顔負けの奇襲 攻撃、いきなり十数回のくしゃみの波状攻撃を受けてしまいました。 激しいくしゃみで動悸なりやまず、身体は疲労困憊。横臥してはいられず思わず布団の上 に正座し、朦朧とする頭を垂れて白旗を立てていると、今度は洗濯バサミで鼻をつままれ たような頑固な鼻詰まり攻撃が。 鼻は完全にふさがれ、口でしか息が出来なくなったので、やむなく私が保有している最後 にして最大の武器、点鼻薬で対抗。 点鼻薬は一時的な症状緩和の効果があっても、その連用はかえって症状を悪化(鼻粘膜の 二次充血)させ、薬の効果も逓減していくと注意書きに書いてあるので極力避けてはいる のですが、背に腹はかえられません。 何とか鼻が通ってきたので、これでようやく解放されたとばかりに、眠った子を起こさな いように恐る恐る身体を横にしたのでした。 初めて花粉症の発作に見舞われたのが昭和57年の3月。 あれから20年が経過しています。 症状は毎年似たり寄ったりですので、この20年間で治療法、治療薬の進歩があったのか どうか疑わしい限りです。 国の方でも花粉症対策に関する調査研究・治療法の開発を行っているでしょうし、インタ ーネットで花粉症対策を検索すると、公益法人や医療機関、健康食品会社などからの情報 提供が満載されていますが、どれも隔靴掻痒、帯に短しタスキに長し。これといった治療 法が見えてきません。 参考までに私の今までの治療法というか、予防と症状緩和法をしるしてみますと。 そもそも医療機関での診断の結果はアレルギー性鼻炎で、原因となる抗原(アレルゲン) は杉花粉。 昭和57年の発作時と前後して、鼻詰まりの症状から他の医療機関で受診した際は、確か 循環不全性鼻炎などと言われた記憶もあります。要するに鼻腔周辺の毛細血管の血流が、 温度の変化(室内外の急激な温度差)等でとどこおり、鼻粘膜がうっ血して鼻腔が塞がれ やすい体質だというのです。 いずれにしろ、症状はくしゃみ、鼻水、鼻詰まりの典型的な花粉症のそれですが、特に鼻 詰まりが激しいのです。 このため、過去数回、麻酔をかけた後に酢酸を鼻粘膜に塗布する治療や、レーザーで鼻粘 膜を焼灼する手術(30分ほどで終了する外来日帰り手術ですが、手術室に入り、無影灯 の下の手術台に横になって行うので、いささか緊張します)を試みてきましたが、鼻の通 りが良くなったと実感できる程の効果は得られませんでした。 抗原(アレルゲン)エキスを注射してアレルギーが起こりにくい体質に変えていく減感作 療法もありますが、週1,2回の通院を数ヶ月行うようで、費用と手間ヒマに対する効果 を考えると二の足を踏んでしまいます。 最も一般的な症状緩和法は内服薬の服用ですが、私は去年はバイナスとアゼプチンを2月 初めから服用。これも殆ど効果なし。そこで今年はクラルチンという薬に変更し、1月下 旬から粛々と飲んでいます。また、葛根湯をベースとした漢方薬を適宜服用。それ以外の 防御策としては、原因となる花粉の体内侵入を防ぐのが第一ですので、外出時のマスク使 用と、手洗い・うがいの励行。そして鼻洗浄器(チューブを鼻孔に挿入しゴムポンプを手 動して塩を溶かした温水で鼻粘膜を洗浄するもの)を時々使用しています。 さらに、花粉症に強くなる体質への改善策の一つとして、去年の3月から、ヨーグルトを 毎朝200グラムほど摂っています。ヨーグルトは、腸の粘膜を修復し、アレルギー反応 の要因となる異型たんぱく質の過剰侵入を防ぐ効果があるとのこと。 そしてさらに、この1月からは花粉症の症状を緩和させると言われている甜(てん)茶の 飲用を開始。職場に出勤するとすぐにテイーバックを取り出しては朝の一服として、花祭 りの甘茶のような味を楽しんでいます。 ことほど左様に花粉症対策を抜かりなく行っているつもりですが、今のところ小泉内閣の デフレ対策と同様に、全く効果が見えてきません。打つ手なし。 先述したように、最後にして最大の武器は点鼻薬。 ところが一昨年、この命綱である、以前から常用している「パブロン点鼻薬」が成分を変 えてしまい、新商品として販売し始めたことがありました。しかしこの新商品が全く効か ないのです。成分表をよく見るとナフアゾリンという成分が入っていないのです。私はあ る大手薬店の店長にそのことを伝え、旧商品の販売をユーザーとして強く要請しました。 すると、店長は「貴重なご意見、ありがとうございます。早速メーカーの方に伝えてみま す。」と返答し、既に販売中止になっていた旧商品を倉庫から2本取り出してきて、私に サービスしてくれました。 その後数ヶ月たって、再び旧商品がどこの薬店の棚にも並ぶようになりました。私と同様 の意見が全国から製薬会社に寄せられたのでしょうか、不思議な展開に驚いた記憶があり ます。 先週末の激しいくしゃみの発作以降、今週は花粉症の発作はありません。 敵は鳴りをひそめているもようです。 どうも、攻撃は最大の防御とばかりに敵(花粉症)をたたくだけが、能ではないようです。 酒を控えてよく眠り、ストレスをためないように無理をせず、規則正しい健やかな毎日を 送っている時は、比較的に症状が緩やかなようです。 これが20年にわたる花粉症との戦いから得られた教訓。 日本国民の10~15パーセントが花粉症患者との推定もあります。 多くのご同輩・戦友にエールを送りながらも、何とか奇襲・波状攻撃を受けないで、平和 裏に花粉症と折り合いがつく日が来ないものかと、今も赤シソ抽出成分のドリンク剤「花 粉ノックアウト」をラッパ飲みしながら願っているのです。 皆さんもご自愛の程。 《 旅の終わりから 》 2003年2月21日掲載 先ほど福島県いわき市にある、国民生活金融公庫いわき支店への出張から帰ってきました。 昨日そして今日までの1泊2日の短い旅でした。 乗り慣れた常磐線の、車窓に広がる見慣れた風景も上野からせいぜい水戸までで(水戸の 手前の友部にマイ・ゴルフコースがある関係で)、その先の鹿島灘沿いに北上する鉄路を 辿るのはこれで2回目でした。 いわき市は日本一広い街。面積は約1230平方kmでシンガポールの約2倍。 地図で見ると東京より緯度で1度以上北に位置している割に、海洋気候というのか(北上 する黒潮(暖流)がいわきの沖合いまで流れついている)比較的に温暖な気候で、人口も 面積の割に密集しておらず、穏やかな風情を漂わせている街です。 今年度(14年度)の出張はこれが初めてで、そして最後。 建立して840年を経た国宝・白水阿弥陀堂の静寂、雲間から射し込む陽光にきらきらと 輝く茫洋とした磐城の海。支店の方々の人柄を映し出したようなそれらを眺めて、心和む 小さな旅の帰路をたどりました。 一方、昨年度(13年度)は、国民生活金融公庫が貸付業務を委託している先の、全国の 民間金融機関(都市銀行、地銀、第2地銀、信用金庫、信用組合など約450機関)の本 店を業務監査するのが主な職務でしたので、やたらと出張が多い一年でした。 やはり在職時の職務内容が、出張回数の多寡に反映します。 ここで昨年度の手帳を持ち出してチエックしてみますと、7回の出張で34日間の旅程、 訪問した都市は29市町にのぼることがわかります。 備忘録として都市名を書き記してみますと。 函館市、室蘭市、苫小牧市、甲府市、松本市、長野市、松阪市、滋賀県甲賀郡水口町、大 津市、京都市、大阪市、兵庫県津名郡津名町、兵庫県氷上郡春日町、洲本市、明石市、尼 崎市、米子市、倉吉市、出雲市、松江市、長崎市、諫早市、佐世保市、佐賀市、伊万里市、 大分市、別府市、宮崎市、延岡市。 こう書き記していると、北から南まで、春夏秋冬を通じて訪問したそれぞれの都市や町の 風景が、鮮明に思い浮かんできます。 そして行く先々の都市で、その所轄の公庫支店(全国に152支店配置。ちなみに公庫の 職員数は約4800名)の方々と限られた時間の中で親しく懇談しましたが、その時の支 店長などの笑顔が懐かしく思い出されます。 彼らとの触れ合いでは、例えそれが本店と支店間の儀礼的な懇談の域を出ないまでも、私 としては今までの長い役人人生でも経験し得なかった、何ともいえない誠実で人間的なぬ くもりを強く感じました。 そうした彼らの人間性(特性)は、本店業務のみならず全国各地の支店への異動を繰り返 しながら、地元の中小零細企業者への金融面からの支援と顧客第一主義の視点を失わない で、日々お客さん達に温かく接している中で培われてきたもの、と私は推察しています。 金融サービス業である国民生活金融公庫でのこれまでの2年間の経験は、役所などではな かなか得られない、本当に貴重なものになりました。 後戻りの出来ないたった一度の人生。その限られた時間の中で、仕事の世界とプライベー トの世界の両方を充実したものに出来たら、幸せなことです。そうなるかどうかは、結婚 や人事異動や人との出会いや、あるいは自分の病気や家庭の事情などのちょっとした出来 事に大きく左右されてくると思います。 それが運命。 そう考えると、人生のほんの一ページでしたが、公庫に出向し得たことは、まさに素晴ら しい運命だったと言えます。 人生の旅が、この先どこまで続いているのかは、わかりません。誰もが人生の終着駅にい ずれ到着します。 だから、成(な)ってくる運命を丸ごと受けとめ、それを自分の心と肉体で十分に味わい 楽しみながら、日々の旅路をゆったりと辿っていきたいものだ、と思ってい ます。 作家・沢木耕太郎の紀行「深夜特急」に触発された多くの若者と同様に、私の長男と次男 も今まで豪州、欧州、中国・モンゴル、キューバ、米国などへの長期旅行を楽しんでいま すが、大学3年になる次男坊は、一昨日、40日間のインド旅行をゆったりと楽しむため に、一人旅立っていきました。 その沢木氏は最近、「旅行一つでも10代20代に出来なかったことを、50代からゆっ たりと実行してみるのも良いのではないか。人生それぞれの世代でしか味わえないものが ある。心残りのままに人生を送るのは勿体無い。」という趣旨のことを述べています。 小さな旅から戻ってきて、今また人生の新たな旅への夢が広がります。 さて今宵は私も、高層階のバーラウンジから「夜間飛行」(というカクテル)を楽しむこ とにしましょう。地上の星屑を眼下に眺めながら、ゆらゆらと。 ちょっとしたTrip(小旅行)気分が、とんだTrip(幻覚症状)にならない程度に。 それでは良い週末を。 |