東井朝仁 随想録
「良い週末を」

趣味と健康(2)
前回、「75歳頃から、急激に滑舌の衰えを痛感していた」と述べたが、滑舌の衰えでは
なく「声帯の衰え」といったほうが正しいでしょう。

滑舌はまさに「よどみなく話す舌」で、早口言葉の「なまごめなまむぎなまたまご(生米、
生麦、生卵)」とか「あおまきがみあかまきがみきまきがみ
(青巻紙、赤巻紙、黄巻紙)」などといった舌がもつれるような言葉でも、スラスラと正
確に喋れること。良く舌が回ること。
小学生の頃は、下校時に友達と連れ立って歩きながら「このくぎはひきぬきにくいくぎだ
(この釘は引き抜き難い釘だ)」とか「じゃあ、これはどう?かんだかじちょうのかどの
かんぶつやのかちぐりはかたくてかめない(神田鍛冶町の角の乾物屋の勝栗は固くて噛め
ない)」などと、お互いの滑舌を競い合って、はしゃいでいたものだった。
その滑舌が衰えた。
さらに、声量が落ちて声が通りにくく、また、声が掠れると感じることが多くなった。
それは、多くの人前でスピーチした時や、カラオケで音程が高い歌を歌った時に痛感して
いる。あるいは、携帯電話で会話する時も、以前なら少しの声量でも声が良く通じたが、
今は小声だと掠れることがあるので、いたずらに大声を出して話してしまう。非常に燃費
が悪いスピーカーで、相手は聞きづらいだろうし、こちらも消耗する。

特に今年の冬は、連日の異常乾燥で空気がカラカラ。厳冬で室内は昼夜にわたるエアコン
の温風で、喉もカラカラ(急遽、自室では就寝前に加湿器を入れ、室内湿度を60%に保
持しているが)
さらに私は30代の頃から軽いアレルギー性鼻炎(といっても花粉症は微少で、主ではな
い。温度差(寒暖差)などが原因で起こる、鼻詰まりの血管運動性鼻炎が主)にかかるの
で、睡眠中に鼻が詰まって口呼吸している日がある。
その時は自然に目が覚めるが、決まって喉がカラカラ。そして鼻閉状態。
すぐに水を少し口に含み、鼻腔内の血管収縮を促す市販の点鼻薬をさし、10分ほど経っ
てから再度床に就く有様。今冬は日によって2回覚醒しまうこともあった。
したがって、声が掠(かす)れたり嗄声(させい。声がれ)も例年より顕著に表れていた。
書物によると、声は声帯(喉ぼとけを形成する甲状軟骨の中にある、1~1.5㎝程度の帯
状の器官)が振動して生じるのだが、この楽器の弦のような声帯の振動に異常があると、
嗄声を生じるとのこと。

声帯の代表的な病気には声帯ポリープがある。
この病気は無理な発声が一番の原因であり、歌手や学校の先生など、声を多く使う人によ
く見られるとのこと。
声帯の病気には、他にも声帯結節・ポリープ様声帯・喉頭乳頭腫(良性腫瘍)などがある
が、私の声帯不調をあえて表現すると「声帯委縮」だろう。
別に症状から病名を無理に決めつける必要はないが、参考にはなる。
書物には、声帯委縮の症状として「嗄声、声が出しにくい感じ、弱弱しい感じを生じる」
とあり、原因として「加齢に伴い、声帯全体が委縮して生じる」ので、治療としては「保
存的治療として、音声治療がある。声帯に強い力が働くようにする訓練を行う」とあった。
ここで、私は得心した。「やっぱり!」と。
昨年末から声帯強化訓練を続けていることは、正解だったと。
(ニュースキャスターの現役第一人者である森本武郎氏(85歳)は、先日の新聞コラム
で「年を取ると声帯が痩せてきて声が掠れたりする。そこで声帯の筋肉を若返らせる薬剤
の注射を打った」と述べていたが)

声調・声量が落ちた原因は、加齢による喉頭(のど)の機能低下もさることながら、近年
の新型コロナ禍によるマスク常用社会の進行や、昭和的な人付き合いの衰退、スマホでの
メール社会になってしまったことが大きい、と私は推察している。
以前と比べて会食や宴会や集い等の対面会話の機会が減り、酒を酌み交わしながら談論風
発したり、カラオケで高歌放吟したりの、喋くりや歌いまくりと言った、声帯を駆使する
量が減少した。
今や国民の多くもそうだろう。人との意思伝達は口頭ではなく、スマホやパソコンによる
メール送受信が中心であり、車内でも喫茶店やレストランなどでも、会話をしている人の
姿は激減した。
せめて電話で一言と思っても、スマホでメール送信。
口は使わずに、指一本を使うだけ。
「より早く、より多く、より便利に」を求める現代社会は、これからも加速されると共に、
そのデメリットも社会の中で顕著になってくる予感がするが。
(国民の多様化というより、社会の分断化・対立化・孤立化が進むのでは)

私の場合は、昨夏の猛暑の時季から声帯(喉頭)の衰えとして表れてきた。
そこで声帯を強化することを考え、去年の晩秋からNHK文化センターの「ボイス・トレ
ーニング」講座に通って、毎回1時間半、高音の歌を正しい発声法で大声で歌っている。
歌唱は私の趣味でもあるので楽しいし、結果的にそれがトレーニングになるのだから有難
い。声帯のみならず心身全体が爽快になる。

はてさて本格的な春が到来する頃には、大好きな森山直太朗の「さくら」を、20代の頃
のような声帯をもって、朗々と歌いあげることが楽しみなのです。
「いざ、舞い上がれ!」

それでは良い週末を。