あるアンケート結果から
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数日前の朝日新聞に「生まれ変わっても(今の)自分になりたい?」とい う大きな見出し があり、そのアンケートの結果が掲載されていた。 「容姿や声、性格も、生まれ育った環境も時代も全部含めて、また自分 自身に生まれ変わ りたいですか?」という質問なのだ。 回答者数は2499名。 これに私が回答すれば、2500名となる。 私は「はい」と心の中で答えてから、回答結果の帯グラフを見た。 すると一本の帯の真ん中に線が引かれ、左半分がオレンジ色の「はい」で、右半分が青色 の「いいえ」だった。 左右ともに、ほとんど同じ帯の長さだ。 「はい」が51%、「いいえ」が49%と付記されていたが、その差はたっ た2%。 ということは、回答者全体の25人程度の差しかなかったのだ。 だからほぼ同数と言える。 これは意外だった。 何が意外なのか。 私は「はい」の回答者数が全体の3分の2(3人に2人)程度になると推察しながら結果 を見たのだが、意外に「はい」が少ないということと、「いいえ」が意外に多かったこと に驚いた。 「はい」の回答者は、自分のこれまでの人生に肯定的であり、来世も同様にありたいと思 うのだろう。「いいえ」の回答者は、今までの人生に否定的というか「悔いが残る」のだ ろう。 私はこのアンケートの結果に、10歳刻みの年代別結果表が無かったのが残念だった。 なぜなら、私(77歳)らの70代(1947年~1955年生まれ)と、60代 (1956年~1965年生まれ)そして50代(1966年~1975年生まれ)では、 さらに40代(1976年~1985年生まれ)ともなると、世代間格差が浮き彫りにさ れたと思うからだ。 「自分」の性別や容姿や性格やある種の能力などは、他の誰一人として同じ人間はいない、 まさに持って生まれた先天的な「自己の属性」だ。 しかし、自分を取り巻く家庭や社会や時代などの外的要因は、人間の意識(肯定感や幸福 感など)に深く影響を及ぼすので、生まれ育った年代によって、回答に大きな差異が出た はずだ。 ちなみに回答者総数の結果から、「はい」と答えた人の理由(複数回答)の上位3つを上 げると。 1.「良い時代に生まれた」504人 2.「これまで健康に過ごせた」478人 3.「同じ家族や友人と巡り会いたい」470人 また。「いいえ」と答えた人の上位3つを上げると。 1.「若い頃に努力しておきたかった」436人 2.「異なる環境で育ちたかった」380人 3.「性格が嫌い」301人 予想通り「良い時代に生まれた」との回答者が全体の20%を占めて一番多かった。その 理由として「戦争を経験せずに済んだから」とか「戦後日本の元気で豊かな時代に生まれ 育ったから」などとの声も紹介されており、昭和生まれの回答者が少なくなかったことが 容易に推察された。 (注・若い世代になればなるほど「今から人生の総括など、出来っこない」と回答を拒否 するだろうから、50代以上の者を対象としているのかとも思ったが、記事の中で30代 や40代の読者の回答記述があったので、そうでもなかったのだ。「ちょっと早いんでは ないか」と妙な感じを受けたが) 半面、「いいえ」と回答した理由として「若い頃に努力しておきたかった」と述べた人が 一番多かったが、これはこれで率直に自己を語れる年代(高齢者)になったのだと、ある 種の感慨が湧いたのだった。 私が生まれ、多くの年月を生きたのは昭和の時代。 昭明(しょうめい・あきらかなこと)の「昭」に、協和(心を合わせて仲良くすること) の「和」 意味が良くわかる。 現代の元号は「令和」 命令の「令」という字に冷たい感じを受けるが、まだ7年しか経過していないので、今の ところどの様な時代になるかは、まだわからない。 だが私は、この令和の時代をどう生きていくのかが、老いも若きも、世代を超えて全国民 の喫緊の課題となっていると思うのです。 平和か戦争か、民主主義国家か専制独裁主義国家か。 今の日本は、戦後最大の時代の分かれ目にあることは、間違いないでしょう。 あと10年後、いや1、2年後にでも、誰もが「生まれ変わっても今の自分になりたい」 と言いたくなる時代にすることが、思想信条や党派や世代を超えた日本中の「今の今」の 課題。 まだ人生は終わってはいません。 それでは良い週末を。 |