危機の時季(1)
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今日(6月20日)も暑い。東京の最高気温は32度。 6月に入って、これで夏日(最高気温が25度以上の日)が11日、真夏日(30度以上) は今日で6日目となる。最高気温が29度だった4回の夏日も、感覚的には真夏日同様だ った。これらを含めると、10日になる。梅雨入りしたのが6月10日。これからシトシ トと雨が降り続き、時には肌寒い日もあるのが、例年の梅雨の気候だった。 だがというか、やはりというか、数年前から四季を通して様々な「異常気象」が現れてお り、今年も6月になってから全国的に「例年にはない」夏本番の暑さが到来し、「猛暑日」 (35度以上)を記録する都市もこの2、3日で多く出現してきた。 もはや、5月下旬ごろから炎暑の気候になるのが「例年」となるのだろう。 6月1日に最高気温25度、4日に28度を記録した頃から、テレビのニュースや天気予 報からは「熱中症に十分注意を!」の言葉が連日、朝から晩まで流れるようになった。俳 句の夏の季語として「炎暑」や「大暑」や「酷暑」などが伝統的な歳時記に掲載されてい るが、「熱中症」も早晩、季語として載ることは間違いないだろう。 今日(6月20日)は「こよみ」の上では大安の日なのだが、目覚めの後は「仏滅」の気 分だった。 昨日、先週に続いて日帰りで長野県佐久市のセカンドハウスに行ってきたのだが、その疲 れが心身に残っていた。 先週の木曜日も、一人で日帰りで出かけ、庭の植木の中で、一番四方八方に枝を張って大 きくなってしまった梅の木を(注・桜を切る馬鹿、梅を切らぬ馬鹿との例えがあるが、私 は大樹の梅の木が好き)脚立を建て、ノコギリと長鋏で枝切りをし、大きな紙袋半分ほど になる梅の実を採り終わって帰京したのだが、帰宅して床に就いたのが午前1時。 翌日は、右手が上げられないほど首筋と右肩がひどく凝っており、鎮痛塗り薬のバンデリ ンをこまめに塗りまくる始末だった。 今回は、地元の植木職人との打ち合わせと、その後に草刈り機を使っての草刈りをするこ ととしていたので、前回のような筋肉痛になる心配はなかった。 昼の1時に、地元の植木職人と、夏草が生え放題の庭先に立ち、数本のそれぞれの庭木の 剪定方法と、2本の枯れ木の伐採、それに代わる新たな樹木の定植について打ち合わせを した。比較的に若い、良心的な庭師(2級造園施工管理技士)だった。話は簡潔に進み、 後日の見積書送付と庭作業の6月内の完了を確認して終わった。 だが、それが終わって、地元の朋友・Y氏が持参した草刈り機で、庭に繁茂した夏草を刈 る予定をしていたのだが、猛暑で身体中が熱っぽく、頭がぼっとして気力が湧かない。 1本1本の植木の状態を丁寧に見ながら打ち合わせをしていたので、意外と長い時間、灼 熱の太陽の光を浴びていたのだ。 私はY氏に「今日の草刈りはやめましょう。熱中症にでもなったら事ですもね」と告げた ら「無理しないほうが良いですよ。涼しい日にでも、私がやっておきますよ」ということ で、草刈りもその後のフレンチでの夕食も急遽取りやめ、Y氏の車で近くの静かで洒落た 喫茶店に寄り、1時間ほど「クリームあんみつ」(!)を食べながら雑談してから、帰路 を辿ったのだった。 「熱中症だなんて騒いでいるが、昔は炎天下でバレーボールや野球の練習や試合を2時間 も3時間もするのが普通だったよ。俺なんて終わってからロッカーで着替えると、ユニホ ームの背中に塩が吹いていたが、それが当たり前だったよ。ただし、水道の水を飲んで、 水を頭にかけてやっていたがね」などと豪語していた頃もあったが、最近はそんなことは 言えない。完全に気候が変動して、今や夏の猛暑も半端ではなくなったからだ(こうした こともあり、我々世代は「昔の夏は良かった」と思ってしまう) 今朝目覚めると、疲れも何もなく体調は良かった。 しかし、いつもその日の朝刊の内容次第で、心が仏滅になってしまうことがある。 今朝の朝日新聞の1面トップに「米、イランに軍事介入圧力/(イスラエルの)攻撃計画 承認の報道」とあった。イランの核開発阻止に向けた合意を交渉で成立させるため、イス ラエルの軍事作戦には反対していたトランプ大統領が、またまた豹変・心変わり・発言変 更で、イスラエルによるイラン殲滅の軍事作戦を公に認めたのだ。 イランは、米国が参戦すれば中東地域の米軍基地などを標的にすると言っている。またホ ルムズ海峡の封鎖といった強硬手段に出る可能性もある。イスラエルとイランの戦争は、 ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ自治区ガザのイスラム組織「ハマス」の戦 争とは様相が違う。 米軍基地に火の手が上がれば、米国も直接参戦せざるを得なくなり、戦争がいったん始ま ると、エスカレートしてやめられない状態になる。 「これは危ない!」「イランは連携国の協力を得ながら、死なばもろともとばかりに、と てつもない戦略を打って出る可能性がある!」 私はそう直感した。 それは近年で、いや今までの人生でも滅多にない「危機感」だった。 危ない。日本中も世界中も、いま危険な時に入っている。 「消費減税を」「コメの価格を下げろ」等と騒ぎながらの選挙が出来る今の内が、いつか 「最後の平和な時代だった」と語られることのないように、心底祈るばかりなのです。 この続きは次回にでも。 それでは良い週末を。 |