人生の季節は一度だけ(1)
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今日は7月18日(金)。 現在の時刻は9時50分。 天気は晴れたり曇ったり。青い空に羊雲(高積雲)がたくさん浮かんでいる。これが太陽 にかかると日が陰り、雲が流れると強い光が一気に射して、真っ青な空が広がる。 大空の遠方には大きな積乱雲(入道雲)が見える。光が当たらない下層部分は灰色で、幾 つかのこぶをつくって盛り上がる上層部分は真っ白に輝いている。視力ではわからないほ ど緩やかに膨張と変形を続け、ちょっとたつと、ヨコに上に勢力を伸ばして発達している のに、驚く。 今日は、これらの雲が徐々に遠ざかって、午後になってくると、数日ぶりの夏の太陽が強 い光線を地上に浴びせてくるのだろう(正午前に、関東地方の梅雨明けが発表された模様) 今日の最高気温の予報は33度。真夏日。 ここ数日は激しい雨が降り続き、梅雨の戻りのような鬱陶しい天気だったが、これからは いよいよ猛暑日や真夏日といった、厳しい暑さの日が続くのだ。 ここ数年の感じだと、五月下旬頃から10月中旬頃までは、いつ真夏日があってもおかし くはない。実質、この期間が日本の夏の季節になった。 昔は、東京の梅雨明けは、大体7月中旬から下旬にかけてであり、だいたい7月20日頃 には明けていた。 この7月20日は、小学校や中学校の1学期の修了式の日だった。 クラスの教室でそれぞれが1学期の成績表を受け取り、簡単な担当の先生の夏休みの訓示 を聞き「さあ、みんな元気で、また9月に会いましょう!」という声と共に、みな一斉に、 太陽が照り付ける眩い白い校庭に飛び出していったものだった。 誰もがこれからの40日間という、自由な夏休みの空間を目指して、賑やかに散って行っ た。 私にとって、ここからが夏の始まりだった。 そして、夏が来ると気持が昂っていた。 暦の上での四季の区分は、春(3月~5月)、夏(6月~8月) 秋(9月~11月) 冬(12月~2月)。 今年6月の都心の真夏日は13日あった。気温30度以上の真夏日の総日数は、2023 年が90日、2024年が83日。すると、7,8月はほぼ毎日が真夏日。そして6月と 9月で合わせて20~30日が真夏日だったことになる。 さて、今年は真夏日の記録を更新するのか。そのうちの猛暑日(35度以上)の日数も、 今年は昨年の22日を上回るのでは? テレビのニュース・アナや気象予報士の口からは「熱中症に気を付けて下さい」いう言葉 が、金科玉条として毎日発せられることだろう(すでに6月から始まっているが) 前述した通り、夏の到来は気持ちが昂るものがあった。 それは子供の頃だけに限らず、社会人になってからも変わらなかった。 まず、身なり(服装)からして軽快で、ズボン(含む半ズボン)に半袖シャツ(含むTシ ャツ。子供の頃は下着の白いランニングシャツ)、そして子供の頃は靴下をはかず、素足 にサンダルやズック靴を履いていた。 小学生の頃の夏休みは、毎日、校庭か近くの空き地や原っぱでみんなと遊んでいた。 ゴムボールと木のバットを一つずつ用意して興じていた野球。集合した人数を2チームに 分けて。 だから5人ずつのときもあるし、9人そろう時もあったが、原っぱや広場の状況から「あ の塀の家に入ったらホームラン。ストライクだけとって四球は無し」とか決め、攻撃チー ムの誰かを順番に審判とし、昼食後の午後2時から夕方まで遊んでいた。 野球以外には、地面に大きな丸を書いて土俵にしての相撲、Sの大きな字を地面に描き、 人数を二つに分け、それぞれの組がSの上下の楕円のどちらかを陣地にし、敵の誰かに陣 地内に押し出された人は退場する。そうして最後まで誰かが残った組が勝ちになる「S・ エス」という遊び。 校庭なら、砂場を使った走り幅跳びの競争。鉄棒を使っての懸垂の回数や蹴上がりや、身 長より少し高い鉄棒に両足の膝裏をかけてぶら下がり(身体が逆立ちした形)上半身を振 り子にしてブラブラ振り、頭が下半身と水平以上に反り返った時に、ひざ下を解き放って 身を小さくして着地する「振り子」。そして一番高い鉄棒にぶら下がり、体操競技の吊り 輪競技のフイニッシュのように、鉄棒につかまりながら身体を何回も前後に大きく降って から手を放し、飛ぶように両足で着地した距離を競う「サーカス跳び」など。 (私は最初、鉄棒の振り子では振り幅が小さいのに飛んでしまい、額を地面に打ち付けて しまった。高い鉄棒のフイニッシュでは、下半身ばかりが前に行って上半身が遅れてしま い、したたかに地面にお尻を叩きつけられたが) そして「長馬・ながうま」 これは、だいたい5人づつに分かれたチーム同士が競う遊び。 まず後攻の組が馬になる。一番前の人が校舎の壁とかに向かい、両足を開いて両手をつく。 次の人がその前の人の股の間に顔を入れ、両肩を前の人のお尻に押し当て、両手を前の人 の太ももに抱き寄せる。次の人も同様にして5人の長い馬を形成する。ラグビ―のフォワ ードがやるスクラムのようなもの。 この長い馬の背に、先攻の組の5人が順番に助走して跳び乗っていくのだ。跳び乗る人が 滑り落ちたらアウト。後攻の馬の誰かが崩れたら負け。 先頭の跳馬する者は、なるだけ奥まで飛ばないと、後続が乗馬できなくなるから、跳躍力 のある比較的に中肉中背の者がいい。体育の時間の跳び箱のようなものだ。太った者は馬 に2,3人乗っていて馬の人達に負担がかかっている時に跳ぶといい。 この重さが加わると、馬の誰かが崩れてしまう可能性が高くなる。 「長馬」は、確かその後、危険な遊びだから学校で禁止されたのではなかっただろうか。 道路や路地でのメンコ、独楽、缶蹴り、だるまさん転んだ、縄跳び等々。公園の濁った水 の池で、煮干しを入れた瓶に紐をつけて池の底に垂らし、そろそろと引き揚げてザリガニ や小魚を獲ったり、家の庭(当時は400坪あった)の奥に「バッチョ」という雀を捕ま える仕掛けをして、雀を捕まえたり、庭に何本もあった大きなイチジクの木を探り、カミ キリムシやクワガタ、時にはカブトムシを見つけて捕まえたり。 あるいは近くの目黒不動尊の縁日の夜店で、安いソースせんべいを買い、残りの10円で、 ヒヨコを買って帰ったり。 母にその度に怒られたが「責任をもって飼うよ」と、その夜から古い木箱を見つけて来て、 その中でピヨピヨと可愛らしく鳴いているヒヨコを眺めて喜んでいた。 カメも飼った。鳩も飼った。ウサギも飼った。金魚も飼った。 そんなこんなを楽しめたのも、夏休みがあったからスタートできた。 当時はまだ子供たちが遊ぶ場や、等しく遊べる仲間や、安心できる「お互い様」の地域環 境があった。学校教育でも教育資材などは乏しかったが、やさしい立派な先生の授業は面 白く、また教室内もみな仲良く、学校に行くのが楽しかった。第一に小学校の頃からの 「お受験」を意識した教育などは露ほどもない雰囲気(学校の教育方針)で、貧しいなが らも心が通い合えるゆとりがあった。 現代の社会ではまさに望むべくもない。 「カネさえ、今さえ、自分さえ良ければ」の、利己主義=自分ファーストの価値観がまか り通る時代。 見ていると今の子供も若者も可哀そうだ。 みな小さい頃から、何を楽しみに、希望を持って勉強し、日々の生活を楽しんでいるのだ ろうか。社会人は何を目指し、何を生き甲斐にして働いているのだろうか。 その弁でいくと、夏休みといっても、今の子供達、いや大人たちも一体何を楽しみにして 過ごすのだろうか。昔の親は家でぎゃあぎゃあ騒いでいる子に「外で遊んできなさい」と 言えば、だいたい済んだものだ。 言われなくとも、子供は外で真っ黒になって夕食の時間に帰っていくのだ。 現代では、外に行けと言っても「どこで、だれと、なにをして遊ぶのか」 が問題だろう。 それより家で宿題や復習をさせたり、週に何回か塾に行かせ、夏季セミナーなどで模擬試 験のランクを上げさせるのが願いなのか。ヘタに友達と遊びに行かせても、渋谷や新宿や 池袋のみならず、どこもここもチンピラや痴漢や得体が知れない闇社会のスカウトや詐欺 グループなどの連中が徘徊していている。私でも最近、そうした繁華街の奥には行かない。 物騒だ。 子供達が身体を動かして愉快に遊べる場所が、本当に少ない。 家にいてパソコンやゲームばかりしていても、おかしくなるだろう。 あるいは何かを食べている。テレビも食い物番組ばかり。 だからか、多くは車で近場のレストランとかに行き、好きなものを食べて、どこかに寄っ て帰るようだ。 たまに、映画や博物館などでの観賞、野球やサッカーなどの応援に行く。 そして、車か新幹線で2泊3日程度の旅行をする。 今、国の喫緊の課題が山ほどあるが、子供達が活き活きと毎日を生きていけるような学校 ・社会にするために、大胆で具体的な教育改革の青写真を明示するべきだ。更には「競争 に勝つ」「エリートになる」「儲けるが勝ち。儲けられないのは自業自得」というばかり の会社社会の従来の価値観の是非を、我が国の最大の英知を結集して論議し、新たな革命 的な理念を構築するべきではなかろうか。 物価対策OK、給料引上げOK、減税OK、一時給付金支給OK・・・。 どれも「嫌だ嫌だ」と拒否する人はいないと思う。だが「財政赤字の借金大国日本は、こ れ以上の赤字を累積させてはいけない。次代の世代に借金を回していたら駄目だ。財源が 問題だ」という人は反対するだろうが、その様に利他的に考える人は少ないかもしれない。 「とりあえず今さえ良ければ、いいじゃない。自分にプラスになるのだから」という国民 も多いし、政治家も同様だろう。 きっと選挙結果もその延長線上にあるのだろう。 今困っている人は日本にも世界にもたくさんいる。 だが救済するには財源がいる。その限られた財源をどこにつけるのかが政治家の役割だ。 綺麗ごとを言うわけではないが、国民も「私はまだ贅沢さえしなければ、三度の食事に不 自由していない。その一人〇万円とかの支給はいらないから、日本中のいらない人の返上 分を、もっと困っている方々に支給してください」という意識と声があれば、これから先 の日本社会も政治も、少しは変化してくるのではなかろうか。 私は、今すぐに国内の災害被害者への支援・被災地の復興や、深刻な生活困窮者の救済、 高齢社会における医療・福祉・介護事業の従事者に係る診療報酬・介護報酬の大幅引上げ、 老朽化が進む上下水道・公共道路・鉄道の大補修・更新事業などに対象を絞り込み、すぐ にでも手厚い予算を計上して実施すべきだと考えるのだが。 しかし「今さえ(選挙さえ)、カネさえ、自分さえ」良ければの考えが、政治家(候補者 も含む)にも我が国の有権者にもあるならば、私はこれからも日本の政治には期待できな いし、将来の社会に希望を持てない。 いずれにしろ、今回の参議院議員選挙で、これからの日本の方向性が殆ど決定するだろう。 本格的な夏が来た。 夏には夏の気候や雰囲気を反映した色のイメージがある。 「夏色」 夏色は、一般的には明るく、鮮やかな色をさす。 例えば、青(海や空)、白(夏の光や清涼感)、黄色やオレンジ(太陽の色)、緑(山の 木々や草木の色) これらの色はみな、清涼感や活力、陽気さを表現する色合いとのこと。 2025年の夏が、爽快で活力に満ちた、明るい季節になるように、私も青いジーパンに 白いポロシャツを着て、投票所に出かけてきます。 この続きは次回にでも。 それでは良い週末を。 |