人生の季節は一度だけ(4)
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前回、日本の季節は「春・夏・秋・冬」の四季からなり、色で例えたら青い春(青春)、 赤い夏(朱夏)、白い秋(白秋)、黒い冬(玄冬)となると述べた。 人の一生は「人生の始まりと成長期の春。人生の盛りと活動期の夏。成熟と収穫期の秋。 そして静寂とやすらぎ期の冬」からなると、私は漠然と考えている(学識経験者により、 色々と定義されているだろうが) それでは、この人生の四季に年令を当てはめると、どう区分されるのか。 その答えは、気象庁の季節区分のようには明快にならない。 なぜなら、人の人生行路が多種多様で、当人の主観が働くから。 例えば、いままさに熱戦を繰り広げている甲子園での全国高校野球大会。 幼い頃から甲子園出場を夢見て頑張ってきた高校3年の少年。その少年の夢が叶っての初 の甲子園球場。9回二死からの代打で出場した少年。しかしバットは空を切って三振し、 チームは初戦敗退。 少年はダッグアウトに引き上げ、その瞬間、万感溢れて涙が頬を伝った。 「ああ、これで僕の青春は終わってしまった」と。 少年はまだ18歳。「青春はまだまだこれからだ」と大人は励ますかも知れない。 しかし少年は「あの甲子園の土を踏めたこと、バッターボックスに立てたこと、三振と敗 戦の悔しさを経験できたことが、私の青春時代の誇りでした」と、高校卒業後に会社に就 職し、その後に事業家として大成してから、にこやかに自信をもって語るのだった。 ということもあり得る。 例えば、以前に、初恋中の30代の後輩が「私は今、青春の真っ只中です!」と爽やかに 宣言していたものだ。 要は、その人の心境に春夏秋冬がある。 前述の少年は、高校野球をしているまでの期間が青春、と決めていたのかも知れない。 「学びは一生続ける。しかし、20歳過ぎまで学校に行って勉強し、部活や恋愛ごっこを するだけが青春ではない。私は「さらば青春!」と宣言し、大人になって次の目標を目指 す」と心に誓っていたのかも知れない。 過日、ゴルフ練習場で知り合った79歳の男性が「私はまだまだ青春だよ。酒も女もゴル フも競馬も楽しんでいる。毎日、サバの缶詰を必ず1缶食べ、100回のスクワットと1 万歩ウオーキングをしているよ」と、一緒に珈琲を飲みながら自慢げに私に語ったことが あった。外面は単なるハゲ爺さんにしか見えなかったが、その心意気は確かに青春そのも のだった。 だが、私は敬意を表しながらも少し違和感を感じた。 若々しい青春でも真っ赤に燃える朱夏でも、実りと収穫の白秋でも何でも良いが、誰もが みな、幾つになっても青春に重きを置き過ぎているようで、話がしっくり心に入らなかっ た。 わざわざ「まだ青春を楽しんでいる」と言わなくとも、日常の行動を聞けば「お元気、あ っぱれ。すごい」とリスペクトの言葉を返したのだが、つい「無理してるんでないの?」 と突っ込みを入れたくなった。 が、それはやめた。「青春時代と同じ様に日々を生きる」ということが現在の生き甲斐な のかもしれない。 現在の日本国民の多くは「青春=心身ともに若々しい時」という意識が強いのだろう。そ して有名人が日常の写真を載せると「うそ、若過ぎる!ほんま?!」とか「やばい!可愛 いすぎやな!」などの言葉が、ユーチューブなどでの褒め言葉として、連日飛び交ってい る。 (こうした「幼児化現象」「若さ信奉」も、社会の劣化現象の一つだろうが) 私なら「現在77歳ですが、あと1か月半後に78歳。人生の黄金の秋にいます」と明言 するが。もうチョコっと前ならば「熱い血潮が引いて行く朱夏の終わり」と格好つけてい ただろうが。 加齢とともに人生の四季も移動していく。その四季の移ろいがあってこそ、彩(いろどり) のある悔いのない人生ドラマが創作されると思うのだが。 いつまでも「青春」「若い」でとどまっていたら、発展はないだろうに。 ここで話を人生の四季との対称年齢に戻すと。 今が「人生百年時代」とするなら、単純に100歳を4分割すると、春は25歳まで、 夏は50歳まで、秋は75歳まで、それ以降は冬となる。 だが、これらを60歳定年制の現状や、現在の女性の第一子出産年齢が31歳(約50年 前は25.7歳)、女性の初婚年齢が29.7歳の現状を考慮して調整すると、春は30歳 まで、夏は60歳まで、それ以降は秋冬と考えるのが妥当かも知れない。 勿論、前述のように、人それぞれに人生の四季の年齢は異なるはずだ。 そこで私の人生の四季年令を整理してみた。 ・青春は、0歳から30歳。 ・朱夏は、31歳から60歳だった。 ・そして白秋は、61歳から80歳。 ・玄冬は、80歳から死没までです。 以上の様に割り切っています。 この続きは次回にでも それでは良い週末を。 |