東井朝仁 随想録
「良い週末を」

人生の季節は一度だけ(6)
私の人生の四季は、現在「白秋」である。
その黄金色に萌えあがる、名実ともに人生の実りの収穫期も、私の推断ではあと2年、
80歳までだろう。
その後は、「玄冬」(81歳~)を迎える。
この玄冬期を、作家・五木寛之氏は自著「玄冬の門」(KKベストセラーズ)の本で、こ
う述べている。
「玄冬の玄という字は、単に黒と言う意味ではない。黒光りしている深みのある黒で、そ
の中には何かほのかな、未知の世界へ向けてのかすかな予兆も宿している黒です。
玄冬期は人生の最後のしめくくりである死への道行きですが、それとともに、幼い子供の
心に還っていく懐かしい季節でもあります。
この世に生を受けた人間は、ちゃんと世を去ってこそ人生です。
その締めくくりが玄冬期であり、人生において最も重要な季節といえるでしょう」

だから最近、私も清閑な気持ちで「死ぬということ」を考えてみることが多い。
そうしたことは、小さい頃も考えたことがあった。
小学校5年生の夏休み。
広い庭を伝って涼しい夜風が吹き込んで来る畳部屋に蚊帳をつり、敷布団一枚の上にパン
ツとランニングシャツの下着姿で寝転んでいたのだが、ふっと「僕が死んだらどうなるの
だろう。お母ちゃんやお父ちゃんは生きていて、学校も友達も色々な楽しいことをやって
いるのに、死んだら僕は消えてしまっていないんだ。もう二度と戻れなくなってしまうん
だ・・」という妄想にとらわれていた。
「こんなにいいお母ちゃんと、死んだら二度と会えなくなってしまう」
そう考えただけで眠れなくなり、蚊帳を出て台所の母に「お母ちゃん、人間は死んだらど
うなるの?怖くて眠れないよ」と言うと、茶碗洗いに夢中で何も答えない。
また尋ねると「そんなことをいくら考えても無駄!大きくなったらすぐに忘れるわよ。早
く寝なさい!」と言われたので、引きかえした。
確かに程なくして忘れ、その3年後の中学2年生の春には、新聞配達に行く途中で自動車
にはねられ「九死に一生、いや99死に一生」を得た経験をした。
それでも不思議と「自分が死ぬ」ということは考えられなかった。
救急車の中で「痛いよ、痛いよ」と泣いている自分を感じて目が覚めたが、すぐにまた意
識が無くなった。今度目が覚めたのは病院の白いベッドの上で、数人の白衣の人が私のベ
ッドを囲んで、何やら話していた。
私はしばらくして病室のベッドに移されたが、毎日、割れるような頭の痛さと40度を超
える熱に襲われ、意識がもうろうとした状態が続いた。
いつもいつも「痛いよ、痛いよ」と泣いては、看護師さんが氷枕などで冷やしてくれて
「大丈夫よ、大丈夫よ」と励まして慰めてくれた。
腰の骨にヒビが入った打撲傷とともに、頭部も強打していたので「脳内出血」の疑いもあ
り、しばしば精密検査が行われた。
ある時は看護婦長に抱かれて検査室のベッドに連れていかれ、担当医師から脊髄液採取用
の太い注射針を腰に打たれた。その痛さこそ本当に死ぬ痛さで、ギャーッと大声を出して
泣いてしまった。
検査結果は、その場ですぐに判明した。
婦長さんがビーカーを私に見せながら「きれいで良かったわ。出血していたらピンク色に
なるけど、これは水みたくきれいでしょ。脳内出血だったら、頭の手術をしなければなら
なかったけど、その心配はないわ。本当に良かった」と、笑顔で話してくれた。
それは20日間ほどの入院中、たった一度だけの瞬時の喜びだった。
その時の婦長さんの優しい笑顔は、今でも忘れられない。

「死ぬということ」を近い将来の現実として考えるようになったのは、還暦を過ぎてから
だ。
特に私が好きな作家・池波正太郎のエッセイ本を読むと、こんな文章が心に焼き付いた。
「三日に一度ほどは、ぼんやりと自分が死ぬ日のことを考えてみるのは、徒労でもあろう
が、一方では、自分の中の過剰な欲望を、打ち消してくれる効果もあるのだ。死そのもの
を考えるというのではなく、死を最後の目標にして、その道程を考えるようにしている。
道程とは、それまでの一日一日のことだから、その日いちにちの充実を、まず、心がけて
いる。これもまた、むずかしい」

私は生前の母から、いつもこう言われていた。
「一日一日が生涯なのよ。だから生まれてきた人生を無駄にしないために、毎日を喜び勇
んで生きなくては駄目よ」
また同様に、生前の父からは、こう言い聞かせられていた。
「人間の死は、古い着物を脱いで新しい着物と着替えるようなものだ。
魂は生き通しで、神様からの借り物であるからだをいったんお返しし、再び新しいからだ
を借りて、この世に生まれ直してくることだ。死は出直してくることだよ」
死は、言い換えれば、新たな生への出発点ということだろう。

「死ぬことを考える」とは、大雑把に言うと
①自分の死期を考える(あと〇〇年の命だろうか。その間にどう生きていくか。何をやる
 べきか等)
②死の意味を考える(死んだらどうなるのか。死後の世界はあるのか等)
③死ぬ時のことを考える(自分の心と身体がどうなるのか。楽なのか苦しいのか等)
 だろうか。

さて結びの章です。
私は先に述べたように、人生の四季に対応する年齢を推断した。
朱夏も3分の2ほど過ぎた50歳の頃は「人生は75歳ぐらいまでだな。まだだいぶ先だ」
と流していた。そして白秋に入る還暦になると「75歳まで15年か。その期間の蓄えは
あるから、これからはカネのための仕事はやる必要がない。自由に好きな事だけやってい
こう」と心が浮き立っていた。
それからアッと言う間に15年が経ち、75歳になった時。
「この調子だと80ぐらいまでは元気でいけそうだ。80を何年か過ぎてもそれまでの生
活費は意外と残っている。これからは一層好きなことにカネを使おう」と気分が豊かにな
り、些末なことだが「レストランや和食屋での食事のメニューは、うな重もてんぷらも特
上。ステーキハウスでは牛のヒレ肉。珈琲はブレンドではなくコロンビア。新幹線は今ま
で通りグリーン車の指定。体形が30年前と変わらないので、背広もセーターも靴もたく
さん残っていて買う必要なし。洒落た着こなしのセンスを忘れないこと」と悦に入って、
実行している。

そして今。
死ぬことに関して言えば、重い病になり「このままだとあと余命1年です。手術をすれば
もう少し延命できますが、どうされますか」と宣告されたら、どう答えるか。
「QOL(生活の質)の度合いによるケースバイケースだが、私は「このまま最低限の治
療をしながら、手術をせずに成り行きに任せたいと思います。手術による延命は望みませ
ん」と答えたいが。
成ってくる運命を素直に受け取って、自然のままに逝きたい。
なぜそう考えたのかというと。
「子供3人も、もはや立派な社会人。元気な孫も4人。家族は安心。 私自身はやりたいこ
とをやってきて、やり残したことも新しい欲望もない。だからこの世に悔いも未練もない」
ということ。

さらに以前から思っていたことだが「自分が死ぬ時期と言うのは、きっと世界や日本の社
会環境が悪化して住みにくくなっている時だろう。小説や文学や音楽や映画などの文化も、
私共の世代には全く面白くも感動もないものばかりになっているだろう。社会のどの分野
でも電子サービス・オンリーとなり、買い物でも旅行でも行政への申請でも、全てスマホ
操作の社会。まさに無味乾燥な面白味も人情も無い社会になっているだろう。そんな社会
に生きていても苦しいだけで、何の希望も未練もなくなるはずだ」との思念が、最近は強
い。

現在は77歳。
あと33日で78歳。それから2年後には80歳(傘寿)。
私が考える、静かで深い幸福に満ちた「玄冬の季節」を迎えます。
だからこれからは、やすらかな残日の光を浴びながら①感謝の心を失わず②何事にも足る
を知り③共助の心を忘れずに④一日一日を喜び勇んで生きていく!と覚悟している今日こ
の頃なのです。

それでは良い週末を。