東井朝仁 随想録
「良い週末を」

東京オリンピック(2)
「2020年東京オリンピック」まで、残すところあと1年半となった。
私は、別にオリンピックを待ち望んでいるわけではなく、それどころか、早くオリンピック
が終わらないかと、今から願っているほうなのだ。
なぜなら。
現在の東京では、大会関連工事に加え「オリンピックを境に、景気が下降する。特に不動産
販売が低迷する」という懸念からか、それまでに建てるだけ建てて、高値で売れるだけ売っ
てしまおうとする不動産関連業界の思惑からか、様々な建設工事が都内のあちこちで進んで
いる。
騒音と振動と巨大な産業廃棄物と大気汚染を発生させながら。
私の住む世田谷区の自宅周辺でも、狭い1軒家が解体されたと思ったら、その猫の額のよう
な土地に10数階のペンシルビル建設の公示板が建てられ、見ると完成予定がどこもここも、
来年3月とか5月となっている。そんな建設予定物件(ほとんどがワンルーム・マンション)
が我が家の周囲でも数件あり、地域の様相を激変させてきている。
これは時代の変化から仕方がないことと受忍せざるを得ないが、工事車両の行き来や、土木
・建築の騒音や車両の渋滞が、この先1年以上も続くのにはげんなりさせられる。
また、オリンピック開催期間の前後を含め、多くの国内外の来訪客が東京に集中すると予想
される。
その間は、喧騒と公共道徳違反や種々の突発的事件(最たるはテロの勃発)で、社会は混乱
を余儀なくされるだろう。
従って、「早く終われ東京オリンピック」というのが、私の偽らざる心境。

しかし、興味もある。
それは55年ぶりに開催される(された)東京オリンピックが、1964年のそれと対比し
てどのように評価されるか、だ。
一昨日、神田の喫茶店で珈琲を飲みながら読んだ本に、オリンピックに関する当時の文章が
目を引いた。
気鋭作家・石原慎太郎氏の言葉だ。
「たかだかスポーツと言うなかれ。無償のスポーツであるがゆえに、我々は我々の最も深部
に欠けているものについて、知らされるのである。そして、それを取り戻すすべへの暗示は、
我々のある代表たちによって示された。
女子バレー、レスリングの勝利が教えたものは何か。
即ち、心身をかけて努め、闘うということの尊さをである。
我々は、今日の文明の非人間的な便利さに紛れて、それを忘れていはしないだろうか。
それを知ることこそが、この巨費を投じて我々が催した祭典の、唯一の、かけがえのない収
穫でなくして、何であろうか」(1964年10月25日付{日刊スポーツ})

高度経済成長とやらで、今や総国民は汗をかき努力を惜しまない精神を忘れてしまっている。
しかし今回、必死に努力することの大切さ崇高さを、女子バレーやレスリングの見事な勝利
が教えてくれた。
このことこそが、今回のオリンピックの最大の意義だった、と氏は述べている。
女子バレーとレスリングは猛訓練を重ねて、栄光の金メダルを獲得したのであるが、私はこ
の二つを例示にしたことが印象に残った。
そこで、金メダルを獲得した種目を調べて見ると。
金メダルは16個(アメリカの36、ソ連の30に次いで、世界第3位の獲得数)。
種目別では、レスリング5個、体操5個、柔道3個、それに重量挙げ1個、ボクシング1個、
女子バレー1個。
同じ1個でも、鬼の大松監督率いる「東洋の魔女」軍団の勝利は、選手の数プラス監督の総
数に匹敵する価値だった。故に石原氏が女子バレーを挙げたのは当然であった。
(レスリングはわからないが・・・)

それはさておき、私はこのオリンピックの記録映画「1964年東京オリンピック」(総監
督・市川 昆)は、大変に美しく素晴らしい、価値ある記録映画として推奨します。
その辺の下りは、2014年6月12日付のエッセイ「東京オリンピック」でも触れていま
すので、ご覧を。
この映画を観て、前回のオリンピックは「復興から発展」がキーワードだったと感じます。
されば来年のオリンピックは?

いずれにしろ、早く1年半の歳月が流れてほしいと願う、今日この頃なのです。
それでは良い週末を。