東井朝仁 随想録
「良い週末を」

十 月
「数十年に一度しかないほどの暴風雨です。今後の台風情報に十分気を付けてください」
これは今月12日に日本に上陸した台風19号のこと。
NHKテレビでは、台風の本土上陸前からアナウンサーが頻繁に警告を発していた。
しかし。
台風は甚大な被害をもたらした。
やはり、国も地方行政も、台風の予想進路にあたる地域の住民も、どこかに「まあ、先日の
台風15号ぐらいのもんだろう」とタカをくくっていたところが、あったのではないだろう
か。
今日(16日)現在、台風による死者が74名、行方不明者が11名にのぼってしまった。
そして、福島や宮城など7県の55河川・79か所で河川が決壊・氾濫。数万世帯が床上浸
水に。
さらに広い範囲で、停電や断水が発生し、現在も多くの所でその状態が続いている。
私は、前回のエッセイ(10月3日付け「二つのリスペクト(2)」)でも述べたが、これ
からは地球温暖化により、「数十年に一度」の異常気象は毎年進んでいく。台風15号が過
ぎたから当分大きな台風はこないだろう、と考える時代は終わった」とみている。
したがって、今回の台風19号の襲来も、何となく嫌な予感がしていた。
特に「関東は最大瞬間風速60m、大量の雨が予測される」という予報に。
東京でも60mの暴風?生まれてこの方、初めて聞く驚異的な風速予報だ!と。
だから、12日の朝食時に、家人に「飲料水と缶詰を2日分用意しておけよ。ロウソクと懐
中電灯は俺の部屋に数本ある」「早く明日(13日)が来ないかな。明日の夕方のラグビー
が待ち遠しいよ。
だけど明日の今頃は、きっと「想定外」とか「数十年に一度」の言葉がテレビから流れてい
るぞ」
そんな話をしていたのだが。
被災地の人が「想定外の水量だった。もっと早く避難しているべきだった・・・」と自省し
ておられた。
この人は、車で避難場所に向かう途中、洪水で瞬く間に車が止まり、ドアを蹴飛ばして車外
に脱出。
九死に一生を得たのだ。
ある町役場の職員も「まさか、河川が決壊するなど、想定外だった」と話していた。
今回の河川決壊か所数は、現時点で79か所と判明。
「今まで大丈夫だったから」は、もう通用しないと思う。
建物も橋も道路もトンネルも護岸も堤防も公共施設の多くが、耐用年数が過ぎて老朽化。
気候も大変動して「狂暴化」し、それがこれからは毎年襲ってくることが予測されるから。

12日の夜9時頃が、東京における台風のピークという予報。
その時刻が来た。
私の家は前にも述べたが、近くに河川は無く、比較的に高台にある。したがって、水害より
風害へのディフェンスだけが気がかりだった。
部屋で一人、静かに本を読んでいると、周囲が俄かに騒がしくなってきた。
案の定、9時前から激しい風が吹き荒れ始めた。
それ以前から叩きつけるような強い雨が降り始めていた。
それが滝のように降り続くので、少し恐怖を感じながら西側の閉め切ったガラス窓とスチー
ルの雨戸を、ほんの少し開け、隣のマンションの裏庭を覗いてみた。
そこは、いつもは水はけのよい地面なのに、雨水で覆われて波打っていた。水がはけるいと
まがないほどに、雨はこれでもか、これでもかと激しく降り続いた。夏の通り雨のように、
瞬間的に降る強雨は何度も経験しているが、これほどとめどもなく降る豪雨は、人生で初め
てだった。
それから13日に日が替わった午前2時ごろまでの間、スマホが4回ほど大きなアラーム音
を上げた。
1回目のアラームは、雨風の音も収まってきたので、ほっとして床についた頃だった。
スマホの画面を見ると「世田谷区に大雨洪水警報。多摩川が氾濫の恐れ。多摩川沿いの住民
は避難を!」という避難勧告のメールが。しかし、どこの地域までが避難勧告の対象かがわ
からない。
細かい字をよく見ると、それは世田谷区のHPに掲載されているとのこと。
「せめて、主要地域名ぐらいこの警報メールに書いてくれたら早いのだが」と思いながらも、
地形的に考えて、多摩川が氾濫しても上馬までは120%洪水はこないので、そのまま床に
ついていた。
それから1時間ほどごとに3回アラームが鳴ったが、警報の内容は同じだった。
翌朝、テレビに映っていたのは、田園都市線の「二子玉川駅」の前に架かる橋と、その橋の
たもと近くの家だった。何軒かの家が床下浸水していた。
多摩川のその橋のあたりだけ、堤防が設けられていなかったのだ。国土交通省が何度も説得
したが、住民が「景観を損ねる」と、堤防新設に反対していたとのこと。
「国は防災のインフラ整備を急げ」と要望する国民がいれば「勝手なことをするな。住民の
ニーズを考えろ」と反対する人もいる。
この場合、個人ファーストの利益擁護と、皆の利益擁護(勿論その中には各個人個人の利益
も含まれる)をバランスよく考えなくてはならない。その多摩川の水害にあった地域住民が、
「それでも私は景観を優先する。堤防には断固反対」と主張し続けるのかどうか、成り行き
に関心が生まれた。

13日の朝。
まさに台風一過の、雲一つない青空。
2階の水に濡れたベランダに出ると、1枚の銀杏の葉があった。
この周囲には銀杏の木はない。すると、家から200mほど離れた国道246号線の舗道の、
銀杏並木から飛んできた葉だろう。よくぞここまで飛んできた、と改めて風の強さに驚いた。
そう思いながら黄緑色の葉を手に取ると、どこからか金木犀の甘い香りも漂ってきた。
その時、初めて「そうか、今は秋本番の10月だった・・」と気づいた。
そして、今年ほど情緒も感慨もなく迎えた10月は無かった、と思った。

10月1日は私の72歳の誕生日。
数年前までは毎年、老舗の和食屋で杯を上げて料理を楽しんでいたが、ここ数年はしていな
い。
2日は父の祥月命日(しょうつきめいにち)。
八王子の墓苑に墓参して、白や黄色の菊の花を供えていたが、今年は晩秋に行くことに。
昔は10月はあちこちで運動会が開催され、私も子供3人の小学校時代は、プログラムの最
後の紅白リレーに出る子供たちの応援に、下駄をつっかけて出かけたものだったが。今はそ
うした機会は無く、孫たちの運動会は5月頃に行われるので、興趣も落ちた。
10日は体育の日だったが、いつの頃からか中旬の月曜日に移動してしまい、「体育の日は
いつ?」と聞かれてもわからなくなってしまった。
何でもかんでも3連休に。祝日と定めた意義など、レジャー産業や買い物客が増えればどう
でもよいのかも知れない。
そして先に述べた12日。
台風でばたばたと1日が過ぎてしまった(後述の件を忘失)。
明けて13日。
友人と都内のホテルで昼食をしながら歓談。
夕食は秋刀魚。大皿に乗った二本の秋刀魚を見て驚いた。やせ細っていて頼りなさそう。
食べてみると脂がのっておらず、身がぼそぼそとしている。
「去年の秋刀魚もこうだったな・・・」
家人にボヤくと、「どこの店に行っても、そんなのしか売っていない」とのこと。
もう、脂ののった見事な活きのいい秋刀魚は、口に入らないのだろうか。
そんなことを考えながら食事を終え、7時半過ぎからは待望のラグビーWカップ。
日本はロシア、アイルランド、サモアを撃破し、この夜は強豪・スコットランドを28-21
で破り、日本のラグビー史上初の「ベスト8進出」を決めた。
戦前、まず勝ち目はないと誰もが予想していた世界の強豪・アイルランドとスコットランド
を堂々と押し切り、目を見張るトライを次々に挙げての快挙。
4年前のW杯で、南アフリカを破った時は「日本は奇跡をもたらした!」と国内外に衝撃を
与えたが、今回は「もう、奇跡とは言わせない!」と実況アナウンサーが絶叫するほどの、
見事な勝利。
私は、ここ10年間ほどで、これほど感動したことは無かった。
まさに、選手一人ひとりがラグビーの精神である「one for all、all for one(一人は
皆のために、皆は一人のために)」をストレートに体現してくれた。
今現在、日本中を見渡しても、桜のジャージ(ユニホーム)を着たラグビー日本代表チーム
ほど、スポーツマンshipに則った爽やかな希望の星は無い。
彼らは勝っても優勝しても、大会賞金など1円も貰わない。
純粋に自分のため国のために最高のパフォーマンスを尽くして勝利を目指す。
勝っても負けても、ノーサイド(試合終了)になったらチームの選手一人一人を称え、相手
チームを称える。その生き方を、そうした競技を選んだ彼らの精神は、極めて崇高で魅力的
だ。
野球もゴルフもテニスもサッカーも相撲も、所詮、カネ、カネ、カネの世界。
勿論プロであるから当然だが、私は茶髪のチャラチャラした兄ちゃんや、ショートスカート
で厚化粧の姉ちゃん達が、ガッツポーズなどのパフォーマンスを見せても、全然感動しない。
これも所詮、自己欲だけのもの。前回までに述べたが、対戦相手や周囲へのリスペクトがな
い。
付言だが、昔、阪神タイガースがヤクルトに敗れ、ヤクルトの優勝が決まった時、球場の阪
神フアンから「ヤクルト帰れ,帰れ!」の帰れコールが起こった。
私は恥ずかしくなった。
「負けて悔しいかも知れないが、健闘した阪神と共に、なぜ優勝したヤクルトの選手に祝福
の拍手ぐらい送れないのか!」と。
阪神を引き合いに出して阪神フアンには申し訳ないが、今の日本、万事が自分(達)さえ良
ければの精神で満ちている。
他のスポーツにも、このラグビー精神と同様の気風が出てくれば、日本は格段に明るいすが
すがしい国に生まれ変われると思うのだが。
スポーツの役割は重い。

最後にもう一度、13日のこと。
この日本の歴史的勝利の時、私はハッと気づいたことがあった。
10月12日は、台風の日じゃない。結婚記念日だったのだ。
それも45周年の。
私は、棚から赤ワインのグラスを出し、日本酒の冷やを注いで配偶者に渡した。
そして、日本の勝利を祝い次戦の健闘を願って乾杯した。
結婚45年を祝って、とは言わなかったが、お互いに黙ってグラスを傾けた。
それでいいのだ。
あとは、被災地の一日も早い復旧を祈るばかり。

今年の10月はまだ終わっていない。
20日(対南アフリカ)が待たれます。

それでは良い週末を。