東井朝仁 随想録
「良い週末を」

並木よ坂よ・・・(4)

(前回の続きです)

・昭和44年5月6日(火)
『11年ぶりという3連休が終わった。
3日間とも快晴で「夏」だった。
藤沢の松山さん宅に厄介になりながら、江ノ電で江の島・鎌倉に行ってきた。
白い小波が打ち寄せる稲村ケ崎や由比ガ浜などの海岸線が、爽やかだった。
海面に太陽のかけらが浮かんでいるように、キラキラとたゆたっていた。
無人の極楽寺駅で下車し、深緑の木々が黒い影を落とす裏街道を歩いて、極楽寺を訪れた。
古朽の門をかがんでくぐり、本堂に至る草色がしみ込んだ石畳を踏みしめていく。
新緑の草木の匂いが肉体にしみ込んでくる、森閑とした空間。
まさにワビの世界の中で雑念が霧散し、心が清らかになるようだった。
今度は、恰好の人と連れ立って来たいものだ』
(※注 4年後の26歳の秋、その翌年に配偶者となる女性と、鎌倉の寺社巡りで再訪し
た)

・5月7日(水)
『ゼミの前に、誰もいない何かの教室でタバコをふかして休んでいると、今まで学部内で
は見たことのない、水色のセーターを着た女性が「構いませんか?」と言って入ってきた。
室内に俄かに彼女の柔らかな雰囲気が漂い始めた。
「一文ですか?」
「いいえ・・・大学院ですの」
といった会話から始まったが、すぐにうちとけて、話が弾んでしまった。
彼女は上智大学を卒業し、心理学を専攻しているとのこと。
ということは、私より年長だった。
俺は長話をしたかったが、自分のゼミが始まるので退出した。
彼女は「またお目にかかれたら・・」と微笑んでくれた。
今思い出しても、いい感じの人だった。

社会研究(浜田)は、洋書を使ってやっていく。
英語の授業、顔負けの語学である。
一人、readingがうまい奴がいた。
文学部の学生は語学にたけてなくてはならないだろうが、俺はまだまだだ』

・5月9日(金)
『伊藤が昨夜上京し、家に泊っていった。
俺は菊池とコンパの会場を探しがてら、一杯飲んだので、帰宅が遅れてしまった。タカア
キ(伊藤)は、俺が不在でも勝手知ったる仲なので、両親らと雑談していたらしい。
今夕は、千葉、久古、柴田等と喫茶・ブルボンで大学問題をダベる。
店内のあちこちのグループでも、話題は同じになっている。一般学生の間でも、大学問題
が焦眉になっている』

・5月12日(月)
『昨日は幸い(?)にも雨が降って「全厚生青年スポーツ競技会』が中止になった。いさ
さか疲労気味なので助かった。
その代わり、午後から神田小川町にある「いちれつ会館」に出かけ、東京学生会総会に出
席した。
「どうせ、社会の現状から離反した思考の持ち主たちの、他愛のない議論ばかりだろう」
と、30数名の参加者の話を聞いていたら、それは俺の認識不足なのが分かった。
人それぞれに、現状の学生会の不活発に危惧を感じ、社会情勢に対応した活動を渇望して
いる。
「議題審議」に入り、「会費制の導入」が提議された。
俺は、「まず①会費徴収の意義についての議論、②それが認められたら会費の額の議論と
いう議事の進行」を提案し、承認・議事進行に入った。
導入の反対意見は「本部から年100万円寄付されているのだから必要ない。徴収制度な
ど世間的なサークルのやることだ。セクショナリズムにつながる」等。
賛成意見は「自主性・主体性が培われる。自分達の会の運営だから、その経費は自分達で
責任を持って少しでも徴収するべきだ」等。
俺は「まず、少なくとも100万円の寄付に恥じない活動方針が提案され、またすでに実
践されているべきだ。しかし、現状はそれさえも出来ていないのではないか。
だから執行部は、方法論として会費制導入による会員の覚醒・選別を図ろうとしたのだろ
う。確かに会員は会費納入により、会への自覚が芽生え、旧態依然とした今までの活動を
活性化させる一つの方法に、なるかもしれない。
だが、まずは最低限100万円以上の活動がなされているかの検証が先決。そして、
100万円程度では賄いきれない事業実績を残してから、会員が自主的、主体的に会費を
納入していく制度を設定べきではないのか。「滞納者は除名」云々は、別に討論すべき課
題だ」と、発言したが。
(※注 いちれつ会館とは、東京の天理教関係者の会議等に使用する会館。私は、天理教
関係の大学生(東京の大学)の有志で構成され、本会館を事務所とする「東京学生会」に、
たまに顔を出していた。それから20年ほどして、まさかこの会館において、東井家と天
理教団との係争問題の和解協議が行われるなどとは。私の人生に大きな影響を与えてくれ
た人が本郷に住んでいたり、それに古本屋やスポーツ店や、多くの粋な居酒屋や純喫茶店
があったので、この神田小川町から神保町、お茶の水そして本郷に至るエリアは、私にと
って懐かしくも深い縁を感じるところとなっている)

俺は、隣に座っていたKという女の子(大学4年だが)と、総会の途中で抜け出した。
彼女は所用で築地に、俺は家庭教師で人形町に行くので、本郷三丁目駅まで一緒に出た。
歩きながらも車中でも、他愛のない話を交わした。
初対面にかかわらず、今まで親しく言葉を交わしてきた友達以上に、なぜかウマが合って、
お互いに会話が弾んだ。
それは彼女が、今までに触れたことのない何か独特な魅力を持っていたからだろうが。彼
女は自然に顔を近づけ、優しい瞳でこちらを見続けながら親し気に語る。
甘い声、十人並みの顔立ち。久しぶりに胸の高まりを覚えた。

・5月13日(火)
『今日はやけに電話があった。
久古から「今夕、社会のクラス討論を3時限ぶっ続けでやるので、議長をしてくれ」との
電話が、職場にかかってきた。
続いて千葉君からも「是非、協力して貰えないか」と、何か奇異な感じの電話がかかって
きた。
横井(※注 しばしば出てくるが、最も親しいクラスメイト)からは、昨日俺が「映画の
割引券が厚生省の組合で用意してあるが、いらないか?」
と聞いた際は、ノーサンキュウだったが、電話で4枚依頼してきた。
昨日「右翼と左翼」について喫茶店でダベったりしたが、横井は「俺は自民党と反代々木
系を支持する。国家公務員は法律で定められているように、労働争議権がないのだから、
それに従わなくてはならない。法律が成立するまでに色々な運動をするのは結構。しかし、
法律が制定されたあと、グチグチ文句を言っても仕方がないよ。それはナンセンスだよ」
などとブッていたことを思い出し、苦笑した。
彼は「映画は、博文社(※注 彼の勤務する出版社)の組合結成グループで行くんだ」と
のこと。まあ、頑張ってくれ。
西浦君(※注 天理大学自治会委員長)からも、電話があった。
彼から依頼があり、「明日会う約束をしていたが、予定が変わったので行けなくなった。
どうも迷惑をかけてすまない」とのこと。
彼は、石原慎太郎に講演を頼みに上京してきたのだ』

・5月14日(水)
『暑さの中に、時たま吹き込む風の心地良さの如く、仕事の切れ間にフッと浮かんでは微
笑んでくれる君の顔。新しい何かが生まれてくるような、そんな夢想の世界に一瞬引きず
り込まれ、そして新たなやる気が沸き起こってくる、そんな昼下がり。

Wさんと教育学部で待ち合わせ。
「国家公務員試験問題集」の本を貸してあげる。
彼女に「何に使うの?何を受けるの?」と聞いても照れくさそうに笑って答えない。就職
試験なのは確かだ。民間の一般教養の試験のために使うのだろう。
みな、就職活動に本腰を入れてきたようだ。

・5月16日(金)
『母に買っていった特売のイチゴ。予期していた以上に喜んで食べてくれた。人に喜ばれ
るカネの使い方をしたいもんだ。
「生きる」という意欲、「生きている」という実存感を、近頃ほど喜びとして、緊張とし
て感じることはない』

・5月19日(月)
『昨日の日曜日は、Kさんと目黒駅で待ち合わせ、1日をあちこちと歩きながら楽しく過
ごした。
まず目黒駅から渋谷に出て、映画「若者はゆく」を観た。
といっても館内は若者で超満員。通路脇で肩を寄せ合って垣間見た程度。肝心の「若者は
ゆく」は観ずじまいで出てしまった。
外は明るく眩しく、5月の光の中を明治神宮までゆっくり歩いて行った。
彼女はいつも笑顔ですがすがしく見えた。
神宮をお参りし、代々木の喫茶店で、サンドイッチとハンバーグの昼食をとりながら色々
な話を交わした。
それからまた新宿公園まで歩き、公園のベンチでダベりあった。

Kさんの父親は2年前、ある新興宗教団体の会員になった。
それで現在、彼女と反目しあっているが、彼女は父が商用でしばしばアメリカに行くので、
そのコネにあやかって卒業後はアメリカに行き、料理士になる予定とのこと。それまでは
父に逆らうのはやめていると、笑っていた。そして、天理教の教理が好きなので、今後も
その教理を学んでいくと語っていた。
それから学生会の話をして、新宿の街に飲みに行った。
彼女はビールもカクテルも結構飲む。
そこでまた、色々と楽しく語り合った。
店外に出ると夜気が肌に心地よかった。
「ハーフスリーブでちょうどいいわ」
「ノースリーブは?」
「まだ早いと思うわ」
喫茶店のプリンスに行った。隣掛けで座って喋った。
腕時計を取りかえたり、マッチ棒遊びをしたりしていた。
「私ネエ、、、こんなに早く仲良くできるの、あなたが初めてよ、、、。
先週と今日で2回目だけど、本当に合う感じなのね、、、」
「そうだな、、、」

足がやけに疲れていたが、彼女を家まで送って行った。
田園調布で降りると、ヒンヤリした空気が心地よかった。
見上げると満天の星が輝いていた。
静寂な屋敷街の並木道を歩いていくと、清閑な坂道には二人の影がついてくるだけだった。
並木の枝がさわさわと夜風に揺れていた。
彼女の肩に手をまわして歩いて行った。
「口づけしようか、、、」と思ったが、躊躇した。
「性急な行為はどうあれ、誠実には受け取れないだろう、、」と思ったからだ。
家の近くまで来た。
俺は「おやすみ!」と言って、手を振って別れて帰ってきた。
今でも彼女の可愛い腕時計が、チクチクと鳴っている。
(※注 このエッセイの第2回目「並木よ坂よ・・・(2)」に出てくる田園調布のシー
ンは、この時のことです。今から50年以上前のこと)

・5月22日(木)
『一昨日に続いて、昨日もジャルダンでクラス討論を持った。
文学部では全共闘の連中が、文学部自治会を襲ったので、機動隊が導入された。俺が登校
した時、全共闘100名余りが竹・角棒で武装して馬場下でデモンストレーションをして
いた。文学部構内でも革マルが、これまた長い角棒をたずさえて武装し、デモっていた。
一触暴発の状況に、一般学生も大勢群がってきた。
そんな情況により、クラス討論が教室で出来なくなり、ジャルダンに場所を変えたのであ
る。
討論では、やはり「ゲバルト・内ゲバ」が論点となった。
浅田も俺も、ゲバを否定した。
それに対し、久古、田中は不快感を示した。岩本(注・女性)さんは不明だった。
俺は「大学闘争は重要だが、学生の多数の意見を反映した要求でなくてはならないし、戦
術もそうだ。セクト抗争の波に呑まれてはいけない。
だから、そのセクト主義を批判しつつ、我々の要求を押し出していく方策を確立しなくて
は・・・」と発言した。
岩本さんは、反戦委員会をアイマイだが支持している。
10・21闘争にも参加したらしい。
「革マルの内ゲバ訓練をどう思う?」と尋ねたら、
「悪くはないわね」と。
各自、色々な考えがあり、本当に意思の最大公約数を見出すのが難しい。

横井と帰り道で出会った。
色々と現状への不満を言い合った。
「東井君のこと、皆が「東井は民青だ」と言ってるぞ。Sが何やかやと言ってたぞ」
「俺は、民青にもどこにも属していないが、どう思われようと構やしないよ!」
俺は近頃の彼らの(注・旧A組のクラスメイト。革マル派のシンパらしい言動に変化して
いた)俺を見る目つきを思い浮かべて、苦笑した。
昨夜も今日も夜遅く、疲労困憊して帰宅した』

・5月23日(金)
『昨夜も喫茶・ジャルダンでクラス討論が行われた。
俺は就職面接会に出た後に、ちょっと遅れて行った。
帰りに野島(注・親友)も言っていたが、この頃、クラス討論のムードが何か他人を気にし
た言動で、満ち満ちている。それは革マル系に「日和見的」と批判されたくないという気
後れが、働いているからだろう。
だから無期限ストにしたって、みな内心は反対していても、正面切って言わないのだ。
だが、これらの学生は討論に参加するだけ、極めて真っ当だ。
職場でも学校でも、圧倒的多数の人は、無気力、無関心、無作為。
考えていることは自分を守ること、利益になること。あとは我関せず。

それにしても、右翼の世界も左翼の世界も、いや、人間社会全般においても、人はなぜ自
分達と反対の意見に対して耳を傾けようとしないのか。なぜ、お互いに自由に堂々と論戦
出来ないのか。最後はすぐに集団での恫喝や暴力に出る。
どうして、こう気持が狭量なのか。情けなくなる。
ともかく、クラスの意識をなるだけ集約できるよう、努力していく必要がある』

・5月27日(火)
『今日は一日中、大量のレセプトの梱包作業をしたので、指先がヒリヒリ痛む。
慣れぬ仕事、単調な繰り返しの仕事は疲れる。
役所もいいが、ルーチンワークばかりだと、人生は面白くないだろう。
就職をどうするか。
官庁か民間か。
官庁ならどんな分野でどんな仕事がしたいのか。
民間ならジャーナリズム関係か、商社か。
あるいは教職か。
はたまた、今のまま勤めながら、夜間の専門学校に通うか。
まだ明確にはならない。
国家公務員上級職(心理)試験の締め切りは明日である。
一応、申請しておこう。
6月28日頃の試験だが、それまでに実力を錬成できるだろうか。
中級職試験も、念のため考えておこう。
ともあれ、就職活動の季節だ!』

今回の続きは次回にでも。
それでは良い週末を。