さ ゆ る 空 に(1) |
昨日(11月30日)の夜半に襲来した雷雨。 これには、まいった。 天気予報で「深夜に雷雨がある」ことは十分承知して、夜の11時頃に床についたのだが。 ウトウトの半睡状態から入眠する(と直感した)間際に、まさに天空を切り裂くような雷 鳴がとどろき、一瞬にして目が覚めた。 と同時に沸き起こる、屋根と雨戸を撃ち抜くような激しい雨つぶての音。 これで完全に目が覚めてしまった。 私は、布団の中で微動だにせず、まんじりともせずに天井を見上げていた。体はまだ半睡 状態で気怠かったが、神経だけは深々(しんしん)と冴えわたっていた。身体全体が、今 までに味わったことのないような、虚脱した儚い感覚に包まれているようだった。 「この真空地帯に孤絶しているような、空白感覚はなんだろう。これを無明の境地とでも 言うのだろうか・・」などと思っていると、再び大きな雷鳴が響いた。雨脚はさらに強く なってきた。 そこで一旦起きることにし、部屋の灯りをつけて椅子に座った。 室内は暖房を入れていたので、パジャマ一枚でも寒くはなかった。 すると徐々に、身体を覆っていた微かな被膜がスルリと脱げ落ちた感じがして、ここで本 当に覚醒したことを悟った。 そして、先ほどの雷鳴が天空を切り裂くように感じた理由に、すぐに気がついた。 それは夕食前に観た、黒澤明監督・三船敏郎主演のDVD映画「生きものの記録」の衝撃 が、潜在意識として残っていたからだ。 映画は1955年に制作・上映。 当時の世界は東西冷戦時代で、米ソ両国による原水爆実験がエスカレートしていた。主人 公の鋳物工場をワンマン経営し、大家族を養う現職老人(三船敏郎)は、原水爆実験によ る日本列島の放射能被爆や、核兵器を使用した第三次世界大戦勃発による日本沈没を日夜 憂い、いよいよ工場や自宅を売却し、その売却金で一族郎党を連れてブラジルに移民する ことを決意。 しかし皆は大反対。老親名義の資産の相続や現在の生活を危うくする老人の「被害妄想」 「軽挙妄動」を食い止めるため、家庭裁判所に老親を准禁治産者とするよう訴える。そこ から始まる、私から見たら「戦後の日本で、心から原水爆の恐ろしさを認識し、その核兵 器の惨害から未然に逃れることを深刻に考えて実行に移そうとした、日本で初めての生き 物(老人)の記録」映画。 普通の人だったら、いやどんな国民でも「じいちゃん、ボケてるな」と嘲笑するだろうが、 劇中、揺るがない信念の老人は、反対する家族や家庭裁判所の調停委員や知人などに、こ う尋ねる。 「じゃあ、あんたたちは、原水爆が怖くないのか? 広島の被爆の惨状を写真などで見聞きしているだろう?もうすぐ日本も原水爆の放射能の 灰が降ってくる。それでも怖くはないのか」 「そりやあ、怖いですよ。日本人なら誰でも怖いですよ」 「怖くても、何もしないでおられるのか?」 「それは、、、仕方がないですよ。国が何とかする話で、私達じゃどうしようもないです よ」 「だから、ブラジルに移民して、向こうでみんなで農園を耕して生きていこうというのだ。 原爆が怖いと知りながら、何もしないであの残酷な放射能にやられてもいいというのか? わしはもう年だからいいが、お前らや孫たちのことを考えたら、儂は居てもたってもおら れんのだ」 「それはそうですけど・・・」 (注・2019年9月12日「この地で生きる(2)」を、ご覧ください) こうした会話が頻繁に出てくる、敗戦後の日本社会の復興・安定・成長の過程と共に出て きた「反核」の声をいち早く取り上げた、渾身の社会派映画。 いま日本や世界は、核兵器の保持・増強・拡散や、地球温暖化という日本沈没はおろか人 類消滅に直結する問題に直面しているが、この66年前の日本映画は、今日のこれらの問 題に通底する課題を描き出していた。 その白黒映画の中で、夏の突然の驟雨と、木造の粗末な家屋(当時はこれでも良いほうだ った)を砕くような稲妻の閃光に、家の縁側にいた老人は、まさに原爆がピカドンと光っ たかのように、一瞬激しくおびえるシーンが出てくる。 床に就いた私の脳裏に、この黒澤明監督ならではの、観る者の心に何かを深く訴えている ような土砂降りの雨と、ピカドンの世紀末を予見させるような鋭い稲妻のシーンが、まだ 余韻として残っていたのだ。 ちょうどこの夜半の雷雨は、この映画のシーンと符丁が合うように、重厚で鋭いものに感 じられた。住宅街の夜のしじまに突然とどろき渡った激しい雷鳴。正直の話、半睡のうつ ろな心に「あっ、天地が切り裂かれた!」という感想が、瞬間に浮かんだ。 これを書いている今も、あの雷の何かを警鐘するような音が(部屋の雨戸とガラス戸は閉 めてあり、稲妻は見えなかった)耳の奥に聴こえてくるようだ。 何か大変なことが起こるときは、きっとダラダラと起こるのではなく、 このように「あっ!」という一瞬の間に起こるのだろう、とも思った。 明けて今日は12月1日。 昼前には雨も強風もやみ、まさに突き抜けるような青空が広がった。 最近感じるのは、「東京は青空の日が多くなった」ということ。 それも澄み渡る青空。こんなに綺麗な空を連日のように見上げられるのは、幸せなことだ と、ついスマホを持ち出しては、撮影している。 (HPの表紙写真をご覧ください) 最近、もう一つ感心するのは「親切な若者をよく見かける」ということ。 この話は、そのうちに。 今日から師走。 2021年の納めの月。 歳月の流れは、本当に早い。 「歳月、人を待たず」 どんどん時は流れ去っていく。 だから、今の今を大切に生きて行きたいもの。 「行雲流水」のごとく。 すなわち、一点の執着なく、物に応じ事に従って、行動していきたいもの。 そんなことを考えながら、さゆる空を仰いでいる今日この頃なのです。 それでは良い週末を。 |