東井朝仁 随想録
「良い週末を」

さ ゆ る 空 に(2)

冷たい北風が吹き、青空や星空がすがすがしく冴えわたる季節が、今年もやってきた。
黄金にもえあがった銀杏並木の道を、次々と舞い落ちる黄葉を踏みしめながら歩いている
と、この時季に必ず思い出す歌がある。
それは唱歌の「冬の星座」(作詞・堀内敬三)
この歌は、1947年(昭和22年)に、中学の音楽教科書に掲載されたとのこと。
ちょうど私が生まれた年。
勿論、私も小学校高学年の頃に、音楽の授業で習った。
文語調の歌詞で、少しわからない箇所も多かったが、静謐で清らかなメロデイが、当時の
私の子供心に染み渡った。
そのなだらかに高低する旋律が覚えやすく、少し難しい歌詞を容易に歌えるようにしてく
れていたと思う。
その歌の歌詞(カッコ内は私が付記)は次の通り。

「♩木枯らし とだえて さ(冴)ゆる空より
  地上に降りしく くすしき(不思議な)光よ
  もの(物)みな(皆) いこ(憩)える しじまの中に
  きらめき揺れつつ 星座はめぐる

  ほのぼの明かりて 流るる銀河
  オリオン舞い立ち スバル(昴)はさざめく
  無窮(無限)をゆびさす 北斗(ほくと・北斗七星)の針と
  きらめき揺れつつ 星座はめぐる」

「冬が来ると、この歌を思い出す」と前述したが、今でも歌詞の全文は、そらんじていな
い。歌うとしても出だしの2行を口ずさむだけ。あとはメロデイーをハミングしているだ
け。それも、小学校を卒業してから長い間、間違った歌詞を口ずさんでいた。
それは、最初の出だしの「・・さゆる空より」の次に、「オリオン舞い立ち、スバルはさ
ざめく・・」と、二番の歌詞を歌っていたこと。
脳裏に「夕暮れ時の木枯らしがやむと急に日が落ち、冴えわたる夜空には、オリオン星座
が輝いてくる・・・」とのイメージが、強く残っていたのだろう。

正直な話、私はたくさんある星座の中で、今でもすぐに浮かぶのは、オリオン座。そして
実際このオリオン座は、三つ星が星座の中心になり、その左上にペテルギウスという1等
星が輝いているので、比較的に見つけやすい(星座は、四季と夜の時間帯で位置が変化す
るので、確認は容易ではないが)
あとは、太陽が星空を通る道(黄道)上にある12星座、おひつじ座、おうし座などの名
前が思いつくところ。
これらの誕生星座の名前は、星占いで出てくるから覚えただけ。

スバルも、〇〇座といった星座名と勘違いしていたが、おうし座の肩先に位置する「プレ
アデス星団という星の集まり」ということを、だいぶ後で知った。
作詞をした堀内敬三氏は、戦後の日本を代表する音楽家の一人(?)だけあって、冬の星
座として、見事にオリオン座やスバルや北斗(北斗七星)の名前を挙げている。これには、
感心した。
ギリシャ神話の美しい巨人の狩人・オリオンは「舞い立ち」、おうし座の肩先に群れるホ
タルの群れのようにチカチカと輝くスバルは、「さざめく」のだ。
でも現在、スバルを漠然と星座か1等星の名前と思っている人は、少なくないのではなか
ろうか。
谷村真司のヒット曲「昴(すばる)」では、さすがに「 ♩ああ、さんざめく名もなき星た
ちよ」と、冬の星座の歌詞と同様の形容をしている。
「さんざめく」と「さざめく」の「ん」の違いだけで、同意語だ。
だが、あの満天の冬の星座の中から、数個の3等星(?)からなるプレアデス星団を確認
することは容易ではない。昭和時代の男性がカラオケで歌う歌の定番とされる「昴」。も
しかしたら谷村氏は、プレアデス星団ではなく、名もなきすべての星たちを「昴」と表現
したのだろうか。

それと、冬の北天に輝く7つの星が斗(ひしゃく・柄杓)状に並ぶ、北斗七星(北斗星)。
古人は、この柄杓の柄の部分が指す方向で、時を知った(計った)という。
唱歌では「 ♩無窮をゆびさす 北斗の針と・・・」と表現し、この歌全体をして、夢とロ
マンあふれる壮大な星の世界に、人々をいざなっている。
作詞者の堀内敬三氏は、マサチューセッツ工科大学大学院を修了した、工科専攻の作詞家
・作曲家・音楽評論家だった。
やはり、冴えた冬の天空を理工科的な視点でとらえ、文科的な感性で情緒豊かな、想像を
膨らませる星の世界に描いている。
この唱歌「冬の星座」は他の唱歌とは趣を異にした名作だと、私は思った。

先週のエッセイでは「最近、東京は青空が多くなった」と述べた。
ということは、比例して月夜も多くなったことでもある。
毎夜8時頃に二階ベランダから、新月→上弦の月→満月→下弦の月→新月へと日々変化す
る、月の光を眺めていた(勿論、空模様の悪い夜は、不可能だが)
今年はいつも、月影が美しかった。
それだけ、さゆる空に恵まれていたということだろう。
しかし、星月夜(暗い夜に、星の光が月のように明るく見える夜)は殆ど無い。少なくと
も私の地域では皆無だ。
「コロナだ自粛だ省エネだ」といっても、東京の街は相変わらずの不夜城。
それでも結構。青空と月光と宵の明星と、風の吹いた澄んだ大気の夜に、幾つかの星の光
が望めるのだから。

第2次世界大戦の敗戦直後、廃墟と化した東京の街に流れた一つの歌。
それは「冬の星座」と同様に、やはり昭和22年に生まれた「星の流れに」という歌謡曲。

「♩星の流れに 身を占って
  何処をねぐらの 今日の宿
  荒(すさ)む心で いるのじゃないが
  泣けて涙も かれ果てた
  こんな女に誰がした」

きっと当時は、瓦礫とゴミと異臭と砂塵が舞う暗闇の帝都を、さんざめく満天の星の光が、
とめどもなく降り落ちていたのだろう。
漆黒の夜空を、多くの流れ星が明るい光跡を残して飛び交っていたのだろう。そして無辜
の民(むこのたみ)は、あてどもなく星の流れを眺めていたのだろう。
反対に、戦地にも赴かず、戦争責任も負わず、敗戦直後の混乱の中、権力と闇商売を巧妙
に使って物資とカネをものにした連中は、「お国のために」「欲しがりません、勝つまで
は」と口先だけで国民に号令をかけていたのだろう。国の命令で銃後の備えに日夜励み、
粉骨砕身して尽くし切った国民。結局、親兄弟を亡くし、住む家も少々の蓄えも消失し、
全ての希望を失ってしまった貧民は、呆然と星を眺めるしかなかったのだろう。
そうした名もない星たちの惨状をよそに、敗戦後も国家権力と隠匿した物資を巧妙にくす
ね、ヌクヌクと生活している輩も少なくなかったのだろう。
私利私欲と自己保身に凝り固まり、貧民の窮状など「自己責任だ!」と一顧だにしない輩
は、今の日本にも有り余るほどいるのだろう。

あの敗戦後から74年。私の年齢も74歳。
唱歌「冬の歌」も「星の流れに」の当時の流行歌も、どういうわけか今も歌い継がれ、聴
き継がれてきた。
その間に、国の形も社会の状況も国民の価値観も、大きく変わった。
復旧から復興、成長、繁栄、安定をたどり、今は停滞から衰退へ・・・。
そして今、世界中が、パンデミックの続発、自由主義国家(米国等)と専制主義国家(中
国等)との二大対立の緊迫化、ミサイル・核兵器を使用した武力戦争勃発の危機、あらゆ
る手段を駆使した経済・情報戦争の暴走の危機、巧妙なテロの同時多発の危機、地球温暖
化に伴う大災害の頻発の危機、ひいては地球(人類)消滅の危機に直面している。
加えて我が国では関東直下型地震・東南海地震・富士山大爆発がいつ起こってもおかしく
はない時期に来ている。
まさに「こんな世界に誰がした・・・」と、怨嗟の声もあがってくる。

そうした状況でも、悠久の時間は黙々と流れ、日は昇り日は沈んでいく。
そしてもうすぐ2022年がやってくる。
現在の政治経済状況の危機に対し、私は成すすべを知らない。
しかし、まだなにか「希望の光」はあるはずだ。
せめて「得心できる何か」を、残された人生の中でつかみたい。
そう強く思っている。

人類がうごめく大地は変わるが、悠久不変なものは、「空」。
今はただ、日本の何処にいようが、外国の何処にいようが、お互いに同じ思いを募らせら
れる朋友たちと、空を眺めながら心を通わせたいと念じている。
空は一つ。地球上で一つ。県境も国境も超えて、世界で一つにつながっている。
だから私は今日も、遥かな家族や朋友のことを思い浮かべ、初冬のさゆる空を、静かに仰
ぎ見ている。
「心よ、届け!」と。

来年の運勢を、星占いの本(注・石川ゆかり著)で見てみると。
私の誕生星座・てんびん座は、「2022年は、新たな役割を得る年」「素敵な出会いが
期待できる、ハッピーな年」になるとのこと。
そうなることを星に祈りながら、また一つ、新たな年を迎えたいと思っているこの頃なの
です。

それでは良い週末を、良い新年を。
Good luck !