東井朝仁 随想録
「良い週末を」

中学時代(4) 

父の「新聞配達をやめて、学校の授業に集中したらどうか」という助言があって、私は新
聞配達をやめた。
販売所のおじさんには言いずらかったが、嫌みの一つも言わずに了解してくれ、それまで
のバイト代を茶封筒に入れて渡してくれた。
申し訳なさと嬉しさが、半々の気分だった。
帰宅して、妹や弟たちに100円玉を1枚ずつ手渡した(注・当時は、森永ミルクキャラ
メル1箱が20円。アンパン1個が10円の時代)
私はこれで、「毎朝の荷役」から解き放たれた感じで、ほっとしていた。
(注・父の一言がなかったら自己決断はできず、教会に住んでいる限り、また壁にぶつか
るまで走っていただろう。
成人になってから当時のことを回想した時、そう考えた。父は私のことを人一倍、心配し
てくれていたのだ、と。)

だが気持はすっきりせず、後ろめたさが残った。
自分から言い出して始めたことなのに、それをやり遂げられず、ある程度の形さえも作れ
ずに、途中で辞めてしまったからだ。あまつさえ、3歳年下の小学5年のキヨシちゃんが、
黙々と頑張って続けているというのに・・・。
私は小学校時代から、何となく「自分は何でも出来る」という根拠のないプライドを持っ
ていたが、それは事故後の中学2年になって、雲散霧消した。
でも、やむを得なかった。まだ十分に事故の痛手が回復していない13歳の肉体と心には、
困難を乗り越える力も経験も備わっていなかったのだ。必死の努力以上に、交通事故で受
けたダメージが大きく影響していた。

新聞配達を辞めてから、初めて余裕のある状態で中学校に通学し始めた。
すると徐々に、今までにない経験を強いられるようになってきた。その一つがイジメだっ
た。
新聞配達を辞めたおかげで体力が徐々に回復し、気持に余裕が出てくると共に、クラス内
の雰囲気、クラスの一人一人の名前や性格がわかってきた。人よりだいぶ遅れたが、よう
やく中学2年の学校生活に馴染んできた。
気力は相変わらず湧いてこなかったが、それでも何とか勉強やクラスでの人間関係が進ん
できたら、小学校時代から中学1年まで、全く経験したことのない「イジメ」ということ
を知ることとなった。

ある日。
前々回の「中学時代(1)」で述べているが、学年のワルの一人であるKが、私が事故の
傷も癒えて復調してきたと感じたのか、さっそく私にチョッカイを出すようになってきた。
それまでクラスの大人しそうな者や弱そうな者、生意気そうで目障りな者をターゲットに
して、からかったり、意地悪をしたり、因縁をつけて倒したり(殴りはしない)していた。
だが、やられる者は言われ放題で手を出さなかった。少しでも口で反抗すると、待ってま
したとばかりに校舎の廊下で身体を突き飛ばされ、足をけ飛ばされ、暴言を浴びせられる
からだ。
Kは一応バスケット部に入部しており、私より身長は同じでも身体は逞しかった。

そんなKが、ある日の休憩時間に、教室の自席で本を読んでいた私に向かって、初めてこ
うからかった。
「東井、お前んちは天理教だってな。毎日『屋敷を払うて、田売り給え、転輪王のみこと』
って、お勤めしているんだろう?!ヤシキヲハロウテ、タアウリタアマエ、テンリンオウ
ノミコト!」と、でかい声を上げてからかいながら、細い眼をよじらせて笑った。
本来は「悪しきを払うて、助け給え、天理王(てんりおう)の命(みこと)」という御神
楽歌の一節なのだが、天理教を邪教と喧伝する人達は、決まってKのように、人に誤解と
偏見を与える低劣な替え歌を歌い、信者さんらを侮蔑することが、当時は多かった。
私は「Kは、あの某新興宗教団体の信者か?」と思い、じっと彼の顔を見つめてから、素
知らぬ顔で本を読んでいた。
すると、Kは「ヤシキヲハロウテ・・」と節をつけて歌いながら教室を出て行った。

翌日。
私が、親友になった辻君と一緒に、休憩時間に校庭の砂場の鉄棒で懸垂をして遊んでいる
と(注・交通事故で骨にヒビが入った腰部が、まだ重かった)Kと学年1番のワルという
噂のYとが、一緒に近寄ってきた。
そして、Yが私に向かって「おい、東井。相撲をやろうぜ」と声をかけた。
私が「まだ腰が痛いから、嫌だよ」と答えると、「来いよ」と凄味を利かせて砂場に入っ
ていた。
私はまだ完全に治っていないし、身体も全く鍛えていなかったが、小学6年まで「好きな
遊びは相撲」と広言し、休み時間になると、土の校庭に円を描き、6人ほどで相撲をとっ
て遊ぶほど、相撲には少し自信があった。
しかし、この場面では相撲と言っても土俵がなく、押し出しや引き倒しや、打っちゃりが
出来ない。狭い砂場で、殆ど動かずに投げ倒すしか、勝ちはない。
だが仕方なく、私も砂場に入って対峙した。
意外と背が低いので驚いた。私の鼻ぐらいの高さだった。
私は、立ち合いをする姿勢を取ろうとした瞬間、Yは素早く私のベルトの左を取り、強引
に私の身体を投げ倒した。(注・右からの下手投げ)
双方がっぷり組んでからと思っていたので、不意を突かれた。「アッ」という感じで、私
は砂の上に叩きつけられた。
「ずるいやつだ」と頭に来ながら立ち上がると、Yは何も言わず、さっさとKと一緒に引
き揚げて行った。
相撲ではなく、要するに相手を倒せばいいというだけの喧嘩相撲だった。
私は辻君の前で恥ずかしかったが、辻君は「あいつ(Y)、油面の頃から、ダンベルでト
レーニングしているだ。腕力は一番あるやつだ。でも、あんなの相撲じゃないよ」と慰め
てくれたが、腹立たしさが残った。こんな負け方は初めてでショックだった。

夏休みが近づいてきた、ある日。
学校から帰宅する途中で、彼らと再び出会った。人通りの少ない広い坂道の途中で、Kと
Yら4人が、小学校時代の級友だったO君を壁に押さえつけながら、何やら脅していた。
私は一瞬顔を伏せようとしたが、O君と目が合った。声は出さないが、その目は「東井君、
助けて」と訴えていた。
私は無言で立ちどまり、改めてO君やKらの顔に視線を向けた。
心は動揺していた。
すると、Kが近寄ってきて「東井、文句あんのかよ?!」と凄んだ。他の三人も私をにら
んでいた。
私は、どうしたらいいかわからず、その場に立ちすくんでいた。
その時、坂を下ってきた学生服の高校生が見とがめ「お前たち、何しているんだ?!帰れ!」
と4人のそれぞれの肩を突き放して叱責した。そしてO君に「大丈夫か?」と一声かけて
立ち去って行った。
4人がすごすごと引き揚げた後、私とO君はしばし黙って立っていた。
そして私がそのまま帰ろうとしたら、O君がうらめしそうな表情でこう言った。
「東井君、知らんぷりで帰ろうとしたよね・・」
せめて「そんなことないよ・・」とでも言って取り繕おうと思ったが、私は何も返答でき
ず、黙ってその場を離れて行った。

帰路を辿りながら、私は今までの13年間の人生で初めて、人を裏切ったことによる「恥
辱」を全身で感じていた。
小学校時代には「頼もしいクラスのリーダー」として信頼されて好かれていた筈の自分が、
いざとなったら旧友がイジメられているのに、一瞬でも「見て見ぬふり」をして通り過ぎ
ようとした。口ばかりで、いざとなったら自分のことしか考えない卑怯者・・・。
その後、この思いがいつまでも、私の心の隅に残ってしまった。

話がそれるが。
O君は在日朝鮮人の家族だった。勉強や運動に秀でているとか、友達が多いとかの目立っ
たタイプではなかった。
だが、小学生の頃から人に媚びずにストレートな性格だったので、私とは妙に気が合って、
彼の家に遊びに行ったりしていた。
お互いに目黒区立第4中学校に進学し、私とクラスは違っていたが、きっと彼は芯の強い
性格そのままに学校生活を送っていたので、KやYに絡まれたのだろう。そう推察した。
この出来事の後、O君に会って「あの時はご免な。言い訳がましいが僕も体調は良くなか
ったし、どうしていいかわからなかったんだ・・」と、話をしようと思っていた。
しかし、中学時代には一度も出会う機会がなく卒業してしまった。
以降、お互いに音信不通となった。

それが、今から15年前のこと。私が60歳になった年。
不動小学校6年3組の「還暦クラス会」が、目黒駅近くの飲食店で開かれた。私も出席す
ると、何とO君も出席していた。
彼はバリっとした背広で身を装い、堂々とした貫録を示していた。お互いにニコニコしな
がら名刺交換をしたら、彼は地元の目黒区で不動産会社を設立し、目黒を拠点に何か所も
賃貸マンションなどを経営しているとのことだった。
当時のクラスの女の子の何人かが出席していたが、そのうちの地元・下目黒に住む、成績
優秀だったFさんが、にこりと笑ってO君に挨拶した。不動産のことで色々と世話になっ
ていることへのお礼だった。
2次会は、O君ともう一人を加えた男性3人だけで、駅裏のカラオケ店で飲んで歌った。
他の一人が歌っている時に、私はO君に語りかけた。
「O君、俺がずっと思っていたことなんだが・・・昔、君がKらに絡まれているのに、俺
はすぐに助けに行けなかったことがあったよな・・・。あの時は悪かったな・・・」と喋
った。
すると彼は「そんなことがあったか?思い出せないよ。さあ、飲もうぜ」と笑いながら、
私のコップにビールを注ぎ、マイクを交換して歌を歌い始めた。
「♩・・美しい六十代(ろくじゅうだい)ああ~ロクジュウダイ、共に咲かそう、幸せの花~」
それは、我々が十代の頃に流行った、三田明の「美しい十代」という歌だった。彼は六十代
だけ替えて歌っていた。
私は、「本当に忘れているのか。それとも俺に気を使ったのか・・」と考え、いずれにしろ
「これで良かった・・」と割り切った。
彼が歌い慣れた声調で、楽しそうに歌っている横顔を眺めながら「ロクジュウダイ」のとこ
ろで笑い声を出し、コップのビールを一気に飲みほした。
中学時代から心に残っていた咎(とが)が、ビールと共に流されていった。
気が付けば還暦を迎えていたのだ。

中学時代の数少ない、それもほろ苦い思い出はまだ続くので すが、それは次回にでも。

それでは良い週末を。