東井朝仁 随想録
「良い週末を」

一枚の絵

今週の日曜日(10月22日)、嬉しい荷物が届いた。
それは先日のエッセイ「美術の秋」でも触れたが、私の朋友だった故・寺岡善満氏(注・
享年80歳と11か月25日。あと6日で81歳だった)の奥様、寺岡扶聖子(ふみこ)
氏が描いた、10号(タテ53㎝、ヨコ46㎝)程の額縁に納められた水彩画だった。

この絵を初見したのは、10月5日(日)。
場所は、表参道の交差点からほど近い「神宮前ギャラリー」。
そこで10日までの6日間「寺岡扶聖子 俳画・水彩画展」が開催されていたのだ。
案内状には「傘寿を越えた私の小さなあしあと」という言葉で、個展の趣旨が添えられて
あった。寺岡さんはプロの絵書(えかき)ではない。家庭の主婦であり、自宅の広い茶室
で、多くのお弟子さんに茶道を教えているお茶の先生である。そのかたわら、長年の趣味
として俳画と水彩画を嗜(たしな)んでこられた。今回の個展は、それらの芸事の過去の
足跡である作品のなんらかを展示し、人生の一つの区切りとして皆さんに見ていただこう、
という気持から開かれたのだと思う。

私は、暑さも和らいできた昼下がりに家内と一緒に出かけたのだが、欅並木の表参道を少
し歩き、表参道ヒルズの手前を右に曲がって進むと、そこに個展のギャラリーはあった。
個展には程良い広さの明るい画廊で、すでに40代以上とおぼしき女性客が多数入場して
おり、丁寧に鑑賞しながら控えめに話をされている声が聞こえていた。
私は芳名帳に毛筆で署名した後、品の良いご婦人たちと立話をされていた寺岡さんに、家
内と一緒にお祝いの挨拶をした。
そしてギャラリーに綺麗に展示された大小の作品を、家内とは別々に観賞して回った。
私の主目的は「自宅のリビングに飾る水彩画を1点、買うこと」にあった。
俳画は今までに、ハガキサイズや0号(18㎝)の正方形のサイズの作品を頂いていた。
油絵は、以前に述べたようにクロード・マヌキアンの20号(長辺73㎝)の「お花畑」
が、リビングに飾ってある。
だが、リビングのもう一か所の白い壁が空疎なままだったので、そこに何がしかの絵画を
飾りたいと、コロナ自粛が始まった頃から考えていた。
室内の雰囲気を明るくさせる絵画。でも、毎日目に入るものだから「押しつけがましい」
灰汁(あく)の強い絵画は疲れるので、避けたかった。
そうこうしているうちに3年余が経ってしまった。

それが、これも前々回のエッセイで述べているが、先月の9月1日、私が寺岡さんのご自
宅を伺った際に、玄関や居間などに幾つもの油絵(注・寺岡氏の義兄で画家の小川游氏
(一水会最高顧問)等の作品)が飾ってある中、1点だけあった水彩画に目が行った。そ
の清淡な風景画には強い自己主張は感じられず、慎(つつし)み深いながらも、見た者に
ほのかな安らぎを与えてくれる何かが感じられた。
私は目が覚めた思いで「水彩画もいいものだ」と実感したのだが、これが今考えると不思
議なタイミングで、その時に夫人の個展開催の話を知り、その場で私の住所と宛名が書か
れていた案内状を受け取ったのだった。

話は10月5日のギャラリーの場に戻り。
私は幾つもの大小の水彩画を観た。
前述したとおり、「どの絵を買うか」の視点で観賞していたが、10分ぐらいで購入する
作品は決まった。
私は、知らない街で飲食店やスナックを選ぶ時も、初めてのレストランで美味しそうなメ
ニューを頼む時も、良さそうな家具などを買う時も、さらにこれは極端な話だが、30数
年前に幾つかの物件の中から現在の自宅を購入した時も、最終的には「直感」を優先して
きた。
だから決断は早い。あれこれ迷うのは、いずれも際立って選ぶほどの魅力がないからだ。
そうした場合は無理して選ばないほうが良い。
私はそう考えてきた。

私は一通りの作品を観てから、ガラスの花瓶に薄紅色や薄茜色や黄色のバラの花が生けら
れた作品の前に戻り、ギャラリーの係の女性(身内の方か茶道教室のお弟子さんか?)を
呼んだ(注・(2023/10/23HP表紙写真(水彩画「あなたへ」寺岡芙聖子・作)を参照ください)をご覧ください)
「これがいいいな。貴女はどう思います?」「いいですね。きれいな絵で私も好きです」
「ところで、なんていう作品名?」「そこに貼ってありますが「あなたへ」です」
私は絵画だけに目線が集中していて、ついぞ題名は見ていなかったのだ。
「あなたへ・・・?なるほど、この絵を観た人は全てあなたになるね。
私はてっきり『バラの花』かと単純に思ってしまった」と苦笑しながら「これを買いたい
のですが」と依頼した。
このやり取りも後で考えると、作品を購入するための単なるお喋りをしただけで、脳裏に
題名はうつろにしか残らなかったようだ。
代金は、後日、作品と一緒に送られる振込用紙で済ませることになっていた。
それからほどなくして、私達たちは奥様に挨拶してギャラリーを出た。
奥様は娘さんらしき方と一緒に、私達が若者が行き交う賑やかな通りの角を曲がるまで、
見送って下さった。

そして先日の日曜日(22日)
しっかりと梱包された荷物を開け、届けられた絵画を確認した。
しかし、どこにも代金の請求書と振込用紙がない。
とりあえず、奥様に到着確認の電話をした。
「お疲れさまでした。いま絵が届きましたが振込用紙が入ってなかったので、振込先を教
えていただけますか」
「いえ、それは結構です。その絵は東井さんに差し上げるために描いたのですから。生前
の主人からもそう言われていましたので。どうかそうさせてください」
「そうですか。それならお言葉に甘えて、有難く頂戴させていただきます。
ところで、題名は何でしたっけ?」
「『あなたへ』です。あなたは東井さんのことです。主人と一緒に決めた題名です」
「そうですか・・・。そういえばギャラリーの女性から題名をお聞きしたことを、いま思
い出しました。ありがとうございます」
「これで亡くなった主人も私も、ホッとしました」
私は電話を切り、しばし放心の状態で立っていた。

翌日、個展の参観者一同へ郵送されたであろう礼状の葉書が届いた。
添え書きに「お揃いでありがとうございました。『あなたへ』これは主人と私のプレゼン
トです」とあった。
すでに前夜に電話でお聞きしていたことだが、その時にふっと想像した。
「6日間の個展開催中に、もし私がこの一枚の絵を選ばずに、他の人が買っていたらどう
したのだろうか。私は初日の午後遅めに入場したのだが、すでに売約済みの丸いシールが
貼られていた作品もあったが・・・あの時、直感を信じて購入しておいて良かった」

私は、故寺岡善満氏の葬儀のことを3年前のエッセイで書いたが(注・2020年7月13日付
「7月1日(3)」)その最終章でこう述べていた。
「(略)最寄り駅までの帰路。
来るときは激しい雨の中で俯きながら上がった住宅街の坂を、今は雨も上がり、自分でも
不思議なほど明るい気持ちで、脳裏に浮かびあがった歌を口ずさみながら下って行った。
その歌は、ピート・シガーの『花はどこへ行った』
『♩ 花はどこへ行った 少女がつんだ。少女はどこへ行った 男のもとへ嫁に行った。男
はどこへ行った 兵隊として戦場へ。兵隊はどこへ行った 死んで墓へ行った。墓はどこ
へ行った 花で覆われた』
そして再び『花はどこへ行った』に続くのです」。

花はいま、一枚の絵となって私のところで咲いています。
この花は、もうどこにも行かないでしょう。
戦争か大災害で焼失しない限り・・・・。

それでは良い週末を。