新春に思う(3) |
今年(2025年)の元旦では、過去50年にわたって行ってきた「今年の誓い」を常用 の能率手帳(注・背広のポケットに入るサイズ)に書き記すことをやめた。 これまでは毎年、その年を生きていく上で留意すべき「心構え」や「実行目標」を書き、 自分なりのささやかな1年の抱負としてきたのだが、今年はそのようなことはしなかった。 だが、基本的な心構えだけははっきりとしていた。 それは「この一年を、自分も家族も無事に生き抜こう」ということ。 元旦に届いた年賀状の返礼文に、その気持ちを下記の通りに表してみた。 それは、相手に「こんな心境で新年を迎えました」と伝えると共に、自分自身に確認させ る心持(こころもち)で書いてみたもの。 「 覚悟と辛抱の一年に 新年おめでとうございます。 今年は国内外ともに大変な出来事が多発し、日本も世界も大きく揺れ動く一年になる、と 私は予感しています。 だから『いつどこでどの様なことが起こっても、おかしくはない。たとえどの様な状況に おかれても、じっと辛抱するのだ』と覚悟を決め、一日一日を、感謝と慎(つつし)みの 心を忘れず、そっと小さな希望を抱きしめながら生きていきたい、と念じているのです。 全ての再生のキーポイントは『共助』でしょう。 どうかこの一年も、よろしくお願い致します。」 前々回のエッセイ「新春に思う(1)」で、今年の世界や日本の重大リスクの一端を述べ たが、2025年の世界は、第三次世界大戦前夜のような緊張状態に陥っていく可能性が 高い。 日本も米国の同盟国として、集団的自衛権をもって戦争に巻き込まれる可能性が極めて高 くなっている(注・特に、トランプ大統領の発言如何で、いつ勃発してもおかしくはない 中国の台湾侵攻。すると、日本が矛となって戦うようトランプ大統領に指示される可能性 大。アメリカは裏手に回る) 特にトランプ大統領は、就任早々すぐにWHOや国連のパリ協定離脱を実行したように、 今年は彼の「アメリカ第一主義」の徹底により、世界の秩序は大変動を起こすだろう。 アメリカの国内減税・国防総省の一部解体(ジェンダーや人種などの多様性を重視する部 署。気候変動対策の部署など)、対中国は勿論のこと、同盟国に対しても容赦なく実施す る関税の大幅引き上げ、規制緩和、支出削減、化石燃料の推進、不法移民対策(大量の移 民を強制排除)等々。 アメリカは自由と民主主義・国際協調主義より、自国第一主義の政策を展開する国になっ たのだ。「自国のことは自分でやれ。アメリカは他国のことまで面倒は見ていられない。」 と。 今年から、日本にも世界にも大変な混乱を招いていくことだろう。 我が国会では。 昨年からの「自民党の裏金問題」や、所得税課税最低ラインの「103万円の壁」問題が 論議の中心となっている。来年度予算案の審議が柱だから当然だが、国会は日々激動する 世界の状況とは無縁のように、この二つのやり取りに集中している。内政的な問題は重要 だが、近年特に感じるのは国会での議論は内輪の話ばかりで、グローバルな観点から「日 本の政治改革・経済構造改革・外交防衛対策、少子・高齢社会対策などを包含した、日本 新生10か年計画」といった、将来の日本のあるべき形について議論をするような場面に は、ほとんどありつかない。 きっと予算案が可決したら「熟議を尽くした」で各党議員は、外交・防衛政策などは懸案 の事項の表面をなぞっただけで、与野党ともに夏の参議院議員選挙対策になだれ込んでい くのだろう。 著名な評論家が「日本の政治家は、国内のことばかり見ていて、世界のことをよく見てい ない」と批評していたが、マスコミも同様。 今年はすぐに「元タレントの中居正広氏が起こした、女性とのトラブル問題」の報道に集 中。それに加えて各局のテレビには、連日「食べ物番組」で溢れかえっている。 日本人はこれほど食い物に興味があるのかと言えば、そうではないだろうに。NHK以外 のテレビ局は、一昔前のような視聴率は望むべくもなく、切磋琢磨して番組を作成する意 欲も人材も予算もないからだろう。 ちまちまとしたCM(広告)、スマホからの通信販売を促すものがやたらに多くなった。 だから視聴率もさらに落ちる。 挙句に、今回の「中居氏の女性問題」で、これに関わっていたフジテレビのコンプライア ンス(企業倫理等)の甘さが露呈。 さらにこの問題に対するフジテレビの会見が紛糾し、27日の会見は10時間に及んだと のこと。 各マスコミ関係者やユーチューバーが約450名参加。全てに質問が与えられ、会見終了 は翌日の午前2時23分! その約10時間もの長時間、フジテレビの幹部は言いたい放題(?)に追及され、吊るし あげられた模様。 再びさらに、この様子がSNSで広く発信された結果、X(旧ツイッター)では「フジテ レビがかわいそう」がトレンド(検索数が多い事柄)になったそうだ。 だから、少しの間の社会の風潮として、フジテレビへの攻撃の矛先が、他のマスコミ全体 (フリー記者等も含め)へと向けられるかもしれない。 (昨夜の長時間会見は、昭和40年代に全国の主要大学に広がった学生運動を想起させた。 学長一人を多くの学生で囲み、缶詰め状態にし、多くの学生が次々と激しく問い詰め、長 時間にわたって『糾弾する』大衆団交だ。 昨夜のフジテレビの会見場の雰囲気は知りようがないが、もう少し、全体的に抑制のきい た会見の進行が図られなかったのだろうか。中には何回も質問する記者がいても、それを フジのほうでは止めなかったそうだ。止めたことで、それがまた糾弾され、火に油を注ぐ ことになるからだ。 多くのマスコミ記者たちの旺盛な取材精神はわかるが、極めて後味が悪い印象が残ったが。 マスコミの記者たちが「我々は社会の木鐸(ぼくたく)だ」と確信し、被疑者から何かを 吐きださせようと、正義の味方ではなく、検察の取り調べのように遮二無二なっていたと したら情けない。常識的に考えて、真夜中の2時まで、10時間も延々と会見を続けるな ど、おかしくはないのか。フジテレビ側にも400名超のマスコミ関係者の中にも、午前 零時を回った段階にでも、その場を収束させ次回に回すなど、会見の打ち切りを提言する 人がいなかったのだろうか) 話がずれたが。 現在の世界も日本も、社会の風潮などはSNSの拡散でコロリと変わってしまう時代。 昔から「熱しやすく冷めやすい国民性」と言われてきた日本でも、世界と日本の政治・経 済・社会状況が混迷すればするほど、SNSを巧みに駆使し、アメリカのトランプ氏の様 な独裁的指導者を待望する機運が、一気に高まってくる予感がする。 政治に対する不信、景気の一段の悪化、物価の高騰(インフレ大恐慌)、一部の高学歴と ステータスに恵まれた富裕者層。それに対して中間層からランクダウンした多数の非エリ ート学歴・貧困者層、あるいは中・低所得者層。これが今の日本の二大階層だろう。そし てその格差は拡大している。 そうした国内状況が続く現在。 日々不満が鬱積している国民の中からは、不変な既得権益者を形成する現在の政治・行政 体制を崩壊し、自分たちの現在の困窮を救い、将来への希望を持たせてくれる社会を築い てくれる英雄の出現を熱望する声が、そのうちに世の中を席巻してくるのではなかろうか。 先のアメリカ大統領選で、共和党支持者に加え、民主党支持者の中の現状不満者をも抱え 込み、見事当選したトランプ大統領が、その例だろうが。 今の日本では、政治も社会も国内の全てが内向きに委縮し、コップの中で自己慰安的に騒 いでいるように思えてならないのだが。 はたして2025年をどう生きるか。 それが私の元旦の思いだったのです。 この続きは次回にでも。 それでは良い週末を。 |