~ 春よこい ~
                                            
                                                      元・厚生労働省東京検疫所次長 
                                                            大 橋 正 芳 
            
立春から早や1ヶ月が過ぎ、雪国の冬が終わろうとしている。
            雪国・新潟に生まれた私は、高校を卒業するまで家族と共にそこで過ごした。この時季に
            なると、その日々を思い出すことが多く、特に豪雪の今年は、辛かった日々や長い冬の出
            来事が、つい近年のことのように頭をよぎる。
            小学生の時のある冬の日。
            毎日毎日雪が降り積もり、前日に屋根の雪降ろしを行ったばかりなのに、雪は降り止まず、
            昼過ぎには新たに1メートル余りの積雪となった。大人たちは仕事に出かけ、緊急避難的
            に、冬休みだった子供の私が、一人でその除雪を行うこととなった。
            田舎の家は屋根が広く、小学生の私には重労働であり、時間もない。
            でも頑張った。親が行う手順をまね、残された雪の重みが片寄らないように、屋根の縁に
            沿って暗くなるまで作業を続けた。
            雪が積もり過ぎると、その重みで家がきしむ音をたて、倒壊したりする。恐怖である。だ
            からくたくたになりながらも、手を休めなかった。そして、何とか作業を終えた時、大役
            を果たせたとホッとし、全身の力が抜けた。
            そんなことが何回かあった。
            もう一つの体験。
            学校からの帰り。その日の下校時は猛吹雪で車は通らない。目の前は真っ白。当然家並も
            見えなかった。そんな中、集団で風雪を避けながら下校するのだが、吹きつける雪で顔が
            腫れるほど痛く、雪だまりに足をとられ、全く進めなくなった。限界に近かった。誰もが
            今にも泣き声を上げそうになっていた。その時に家族の迎えがあり、皆、無事に家にたど
            り着いたのだが、その時は死の恐怖を感じた。
            この時ほど、雪を恨み、早い春を待ち望んだことはない。
            
            時が過ぎ、都会に旅立つことが決まった日の晩、母は「がんばれ」と言わんばかりに、こ
            れらの思い出を私に語りかけた。
            雪国を離れ、都会に住み続けてもうすぐ50年となる。今になれば幼い頃のちょっとした
            思い出に過ぎないが、これらの雪国ならではの体験が、今の自分を少しは成長させてくれ
            たのだろう、とも思っている。
            やがて、雪国にも桜が咲く本当の春が来るだろう。
            故郷を偲びつつ、「春よ早くこい」と祈らずにはいられない、今日この頃です。
                                          (2023年3月10日・記)