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東井悠友林

     ~ 私の歩む道 ~

       株式会社ビーティエヌ
        代表取締役
          市 川 洋 征 
   
      
 私はかれこれ50数年前に、農業指導者になることを目指して獣医大学に進みました。
 当時は学園紛争の真っ盛りで十分な勉強もできない状況でした。
 獣医師になるために必死に勉強し無事国家試験も受かり,そして大志を抱いて農業指導者として東北宮城県の蔵王山麓に赴任しました。当時の蔵王山麓の酪農地帯はパラオ、樺太、満州等の引き揚げ者の開拓部落でした。未だ牛飼い酪農だけでは生計を立てられず男衆は東京へ出稼ぎに行っておりました。 山麓は雪も深く除雪もされてないので、私はリックに薬品や診療器具を背負って乳牛の越冬巡回診療に回りました。夜は酪農家との酒飲みの懇談の場で、お母さんが涙ながらに「寂しい辛い」と語られたことは、22歳の私には衝撃的でした。 馬そりが迎えに来て、急患に向かうこともありました。手が凍え、オシッコをかけて暖を取らないと手の感覚が戻らないようなこともありました。 そして難産の帝王切開や様々な外科手術を一人でやり遂げていました。
 また地域の若者たちとの交流にも関わり,青春時代を満喫しました。
 獣医師としてようやくこの宮城の地に根を下ろせたと実感しておりました。
 地元の歯医者さんの犬猫の診療を行い、そこで働く歯科衛生士と縁あって結婚することが出来ました。ところが宮城での9年目に東京に居る両親が病に倒れ、長男ですので親の面倒をみるため、志半ばで東京に戻ることになりました。

 東京での仕事を何するか迷いましたが犬猫診療は性に合わず、養鶏雛飼育会社に就職し、成鶏飼育を経験することにしました。このことが後の仕事に多いに役立ったのです。1年間の務めを経て、同期生が二人いた動物薬品販売会社に転職し、養豚、養鶏、牛の衛生管理を学びました。
 獣医師資格をすてて営業に徹することで、相手の心を読むというのか人との接し方も学びました。高度経済成長の波を受け、畜産も急速な変貌を遂げ、多頭化と規模拡大が進みました。生産現場ではそれに伴う衛生対策が追いつかずウイルス性疾患、細菌性疾患が蔓延しておりました。特に鶏のニューカスル病がワクチン接種をしても発生し、原因はワクチンスプレーに問題あることを究明し、大羽数にも対応できるワクチン接種器具の開発に携わったのです。これは今日でも養鶏場で使用され、ニューカスル病の発生を抑えております。
 当時の生産現場では生産性向上のために抗生物質、抗菌剤を乱用するのを目の当たりにし、「これで良いのか、何とかしなければ」と考え動薬会社を辞しました。
 
 それから会社を設立し、抗菌剤に頼らない畜産を目指してプロバイオテックの研究に没頭しました。 母校・日本獣医畜産大学におられた腸内細菌の第一人者の光岡知足先生に指導を仰ぐことが出来ことが幸いでした。畜産へのプロバイオ製剤の開発・普及のために全国の養豚、養鶏、ブロイラー、酪農、肥育牛、水産養殖に係わる、学生時代の仲間の獣医師7名が参画してくれました。この技術者のネットワークが今日の会社の基礎となりました。

 日本最大規模の養鶏会社イセファームの顧問を務める中で、大量に出てくる鶏糞を稲作、野菜作りに有効利用する取り組みが始まりました。 稲作の第一人者の太田保夫先生との出会いも劇的でした。私らが鶏糞で栽培した稲の苗を持参して伊那に居られた太田先生を訪ねました。先生は稲の根を見て驚き、「信じられない。現場を案内してくれ」と言われ、新潟、福島、宮城の稲作圃場の苗を調査されました。このことが「 これは本物」と言われて、近代慣行農法で世界一の収量を実現した国際的な先生が有機農業の道に入られた切っ掛けとなりました。先生は75歳から積極的に全国の現場に赴かれて、実践指導に当たられ、それから2冊の有機農業の著作を書かれました。東京農大で先生の指導で学位を授かった多数の教え子は、先生が狂ったと驚かれました。
 後に彼らは「NPO法人微生物による環境浄化の有機農業を広める会」会員となり有機農業の推進に取り組んでおられます。 私はその副理事長として太田先生から稲作、野菜、植物病理学を学び、それが今日の基礎となっております。  

 本業の畜産の分野は鳥インフルエンザ、口蹄疫等の脅威に瀕しています。世界的な新しい文明病として大問題になっています、人類が進めた自然破壊と多頭羽飼育が新たなウイルス、バクテリアの襲来の原因となってます。
 全てのウイルス、バクテリアは強アルカリpH12.5以上で不活化されます。「水酸化カルシウム(石灰岩由来)エコシェルハィブリド」と出会いも画期的でした。食品添加物で皮膚刺激も腐食性も無いので人畜が安全に使用出来ます。ナノ化した微粉末を水に0.2%加えた飽和液は有機物、タンパク質存在化でも効果を発揮します。 ノロウイルス、インフルエンザウイルスも60秒以内で不活化されます。従来のアルコール、逆生石鹸、次亜塩素酸ナトリウム製剤の欠点を補い代わるものとして、注目されております。
 特に食鳥処理場、食肉処理場、食品工場で長年使用されてきた次亜塩素酸ナトリウムの補強剤として使用し、カンピロバクター、サルモネラ等の食中毒菌対策に期待されてます。 この水溶液はワンヘルスとして病院、食品工場、外食産業、老人介護施設でも普及されつつあります。

 さて、東京オリンピックに向けて「提供する食材」が乏しいことが話題になっています。ロンドン、リオに続き、東京オリンピックも国際基準ISO20121が採用されました。しかし、選手村等の施設で使用される食材は、国際的な安全規格のオーガニック食材を日本では賄えない現状なのです。全国の野菜、稲作、果樹の生産現場を廻って愕然とすることは、「ここまで日本の農地は病弊しているのか」ということです。 生産者は老齢化と人手不足で、化学肥料と農薬を使用しなければ生産出来ない状況だと言い訳します。土作りに腐植物や有機物を入れず、化学肥料、農薬に頼り切っているので、生物多様性のない死んだ圃場になっています。この現状を放置し、手を打たなかった農林水産省、農協に大きな責任があります。驚くべきことは日本の農薬の使用量は中国、韓国並みの第3位で、耕地面積(1ha)当たりの農薬の使用量は米国、ドイツ、フランスの5~6倍です。
中国の野菜が農薬漬けなどと言えない現実を、皆さんご存知でしょうか。
有機栽培が普及しない要因には消費者の意識の低さがあります、欧米と違い安心、安全な農産物を購入するより、見かけが良く安価なものを購入する傾向があります。
私はこの10数年、八王子で60坪の畑に100種類以上の野菜を無農薬、無化学肥料の有機農法で栽培しております。農薬漬けそしてミネラル不足の野菜・果物・農産物が癌の発生率の高い原因ではないか、と危惧もしております。
 現在農薬に代わるものとしてエコシェルハイブリッドが使われ始めました。全国的に蔓延した玉ねぎのベト病、ニンニク・ネギのサビ病、マンゴー・リンゴの炭疽病に使われ効果を上げております。先日ドローンの展示会が開かれ農業分野にも可能性があり、稲作のイモチ病対策に散布が出来そうで信州大学と共同研究に入ります。
農薬に代わるものとして有機栽培生産者とともに、これを確かなものにしたいと思っております。

 私は自由医(獣医)として「環境といのちの問題」をテーマとしながら、今後も我が道を元気に歩んでいきたい、と願っている今日この頃なのです。