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東井悠友林

ドイツで巡り合った日本の祭り

   (NPO)日本ブレイン・ヘルス協会
       理事兼事務局長
         寺 岡 善 滿  
   
      
 先月下旬に思いがけずにドイツにトンボ帰りの旅をした。この数年家庭の事情(家内の療養)を理由に、宿泊を伴う出張、とりわけ海外出張はお断りし続け、周りの人々もそれを許してくださってきたが、今回ばかりは、取引先の社長に「初めての長期の国際契約の調印なのでどうしても」とねじ込まれ、やむを得ずお引き受けし、6月20日の昼頃にデュッセルドルフ空港に到着した。
 丁度その日は土曜日で、ヨーロッパ最大の日本人の町デュッセルドルフ(6500人の日本人が在住)ではJapan Tag(ヤーパン・ターク=日本デー)という盛大な祭りがおこなわれていて、何も予備知識を持たずに到着した我々一行4人が早速街に繰り出してみると、眼前に展開する日本への好感度100パーセントを上回るような光景に、目を見張るばかりであった。さまざまな仮装に身を固めた現地の老若男女たちが、ライン川を見下ろす遊歩道をそれぞれ思い思いに、その仮装の人間になりきって練り歩く姿は愉快であり、心の底から何か理由のない感動が吹きあがってくるのを覚えた。バイキングやリヤ王、またバンパイヤ、美女と野獣、日本の衣冠束帯、弁慶と義経、あるいは鎧甲冑に身を固めたいかつい男性、十二単の女性など、とても暑い日であったのでそれこそ照りつける日光のもとで大汗をかきながら大得意で楽しんでいた。
http://www.japantag-duesseldorf-nrw.de/jp/

 先月下旬に思いがけずにドイツにトンボ帰りの旅をした。この数年家庭の事情(家内の療養)を理由に、宿泊を伴う出張、とりわけ海外出張はお断りし続け、周りの人々もそれを許してくださってきたが、今回ばかりは、取引先の社長に「初めての長期の国際契約の調印なのでどうしても」とねじ込まれ、やむを得ずお引き受けし、6月20日の昼頃にデュッセルドルフ空港に到着した。
しかも、みな殆ど無言でただニコニコと親子や恋人どうしで歩く姿は、いかにもドイツらしいと感歎した。別にオーガナイズされたパレードでもないらしく、皆それぞれが思い思いに歩いてゆく姿は見事であった。

暫くそんな仮装行列を楽しんでいるうちに、喉の渇きと空腹を覚えていた我々4人はビヤホールに入ろうとレストラン街に戻ったが、街は道路上でさえも、屋台とテーブルが立ち並び、溢れる騒音と人の波で歩くことさえままならないありさまであった。我がクライアントの若き社長は、流石15回もドイツに来ているという経験にものを言わせて、これと決めた店に立ち入ると、入口や通路に佇んでいる群衆をかき分けかき分けどこまで奥に広がっているのか見分けも付かないホールの奥の奥まで進入すると、丁度ひとつの小テーブルについていた人々が立ち上がる場面にぶつかったので、素早くそのテーブルを占拠し、周りではあちこちで上がるドイツ歌曲のコーラスや、絶叫に近い会話の飛び交う空気に浸りながら、肉やソーセージの大皿料理とビールを心ゆくまで堪能した。

久しぶりでドイツ魂に溢れる嵐の一夜を満喫した我々は、翌朝、レーサーになりたかったというリーダーの青年社長の運転で、ライプツィヒまで500数十キロの道程を、レンタカーで、可能な場所ではいつも時速240キロという超スピード(これがレンタカーの能力の限界)も交えて、私は後部座席でつくづく死亡一億円の旅行保険をかけてきて良かったと感じながら、ドイツの誇るアウトバーンを疾駆した。 まだ、昨夜の祭りが続いているような錯覚に陥りながら。