東井悠友林
~「自由」という人生の宝物~
(株)アルク 取締役最高顧問(創業者)
平 本 照 麿
あなたにとって、人生で一番大切なものはなんですか。
家族ですか、仕事ですか、将来の夢ですか?
どれも大切ですね。
ぼくが 常に人生で一番大切にしてきたもの、それは「自由」です。
会社を立ち上げる時にその思いを込めて、Associated Liberal Creatorsの頭文字をとってアルクとしました。人の物まねはしない、常に自由に新しいものを創造していく企業でありたいと思ったのです。
またアルクの大切にしたい3F精神Freedom’ Flexibility’ Frontier Spirit の中でも、一番目にFreedom
をあげています。
ここで自由とは何かを考えてみましょう。社会生活の中で、自由を手にするためには力が必要です。
第一は経済力、次に健康力、それに精神力です。お金がなければ不自由します。
経済的また精神的に自立しない限り、自由は手にできません。健康でなければ自由に動けません。また精神的に病んでいたら心の自由はありません。
自由を手にするためには条件があります。まず、人に迷惑をかけないこと、人を不自由にしないこと、精神的に人を傷つけないこと。
自由は生きる力と一体です。また自由は幸せの条件でもあると思います。
自由があればいつ会社を辞めようが、どこに住もうが、やりたいことは何でもできます。
これは国や会社もおなじです。北朝鮮のような国には自由はありません。
自由がない国に住んでいる国民ほど不幸なことはないと思います。戦前は、日本も自由のない不幸な国だったと思います。
また会社は利益を上げ、税金を納めている限り自由です。債務超過になった会社に自由はありません。反社会的な仕事や人に迷惑を掛けたり、騙したりする会社に自由はありません。
ある意味では、人生は自由を手にするための戦いでもあります。
またあらゆる画期的な商品や技術や芸術は、自由な発想から生まれると信じています。自由がない会社から、優れた商品や独創的な企画は決して 生まれません。
囚人には自由はありません。また麻薬や飲酒やギャンブルに溺れた人は、心の自由を失った人たちです。
さて、みなさんは自分のフリーダムレシオ[自由度]を考えたことがあり ますか。
先にあげた自由であるための条件に照らして、何パーセント自由を手にしていると思いますか。人に迷惑を掛けたり、不自由を掛けたりしていたら減点です。
経済的には不自由しても健康に恵まれている人、体は不自由だけど心は自由な人、いろいろでしょうが、総合的に自由度が高い人ほど幸せです。
ぼくの場合? 78%ぐらいかな??
生まれた時自由度は0%です。年を取り自立するにつれて自由度は増していくはずです。そして最後に死んだら完全に自由になります。この世のしがらみとは全ておさらばです。全ての人が、最後は百%の自由を手にして、おめでとうということになるわけです。
そう考えると[自由]とは、神様が人間に与えた試練かもしれませんね。
話は変わりますが、子供の頃ぼくは極端に病弱でした。血が出始めたら止まらないという病気で、鼻血が出始めたら止まらなくなるのです。血を飲み込んで洗面器いっぱいの血を吐いたことが何度もあります。そのたびに輸血をしました。六、七歳の頃です。飲み込んだ血が耳の後ろに溜って化膿する病気になり、そのため二度の手術をしました。耳の後の骨を木槌で削るコツコツという音と、医者がもうこの子は助からないかもしれないという声を聴いていました。寝るときはいつ死ぬかということばかり考えていました。
そんな僕がいまだに生き延びているのは奇跡に近いと思っています。
その頃の僕の唯一の楽しみは、病床でいろいろな空想をすることでした。
それしか楽しみがなかったからです。空想の世界は自由で、現実世界とはかけ離れた異次元空間でした。
ぼくのフォネット詩集『G線上のマリア』の中にその頃の思いを書いたものがあります。
永遠
いつの日か、子供の頃から想っていた
自分だけの宇宙をつくろう、誰もいない自由の国
そこには時計もなく、神もいない
いるのは永遠のきみとぼく
子供心にぼくが憧れ、夢みていたのは「自由」になることでした。ぼくは今やっと完全に自由になれる世界があることに気が付いたのです。人生は永遠に続く時間の流れの中で、一瞬のまばたきのようなものです。人は遅かれ早かれ寿命が来れば死に、寿命はその人の運命によって決まるということ。
その人の運命は脈々と続く血脈の中にあり、個人の意思など見向きもしないことも。
いつか僕のフリーダムレシオが、せめて九十%以上になる日がきたら、気ままに旅に出たいと思っています。
芭蕉の辞世の句にあやかって
旅に病んで 夢は宇宙を 駆け巡る
そんな心境で鳥のように自由に羽ばたいて、消えていけたらいいなと思っています。