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東井悠友林

    ~人のために~
      
   全国簡易水道協議会事務局長  
(前厚生労働省東海北陸厚生局健康福祉部長)   
      小 平 鉄 雄
 
  
 世のため人のためになることは難しいです。少年のころは、射撃の名手になって外敵から人々を守るとか、ヒーローのように災害時に人を救出するとか、どうしたら人のためになるか、よく考えていました。
 当然ですが、人間の中には他人を不幸にしてまでも、自分や自分たち利益を求めている人がいます。一方、他人のために自分の命を顧みず助ける人がいる。自分の財産をすべて寄付する人がいる。自分の臓器の一部や骨髄を見知らぬ人に提供する人がいる。そういう方に接すると自分の腑甲斐無さを実感しますし、そういう方のような人間になることを理想にしていました。
 私は、40年くらいまえ、港湾の保税倉庫に務めておりました。貨物を倉庫に保管するために様々な年齢の荷役さんと共に働いていました。私の役割は現場の事務でしたが、貨物の計量や記録など荷役さんに助けてもらうことが多く、会社は違っていても協力し合いながらの仕事は家族のように楽しく仕事は当然ですがそれ以上に様々なものを得ることができました。働くというのは単に金銭を得ることだけではなく、もっと世のために働かなくてはという気持から、国の職員に転職し定年まで勤務いたしました。
 国の職員として働いている間は、部分的でも自分は国民のために役に立つことをしているというただそれだけで、自分なりにやりがいをもって仕事をしてきました。
 しかし、今、40代、50代と日々を過ごし、国の仕事はしているが、身近な人のためになにもしていなかったなと振り返るようになりました。
 そんな中、私の親が他界し、どうしたら良いかもわからなく呆然としていると、近所の皆さんに葬儀の段取り仏事の作法などお世話になりました。自ら行うことは経験がなく、心身ともに大変助けていただきました。自分も、今後の人のためにも同様の役割ができなくてはならない、そのように恩返しをしなければならないと思いました。
 そんな時、偶然にも仏事の作法を教えていただく機会があり勉強をさせていただくことができました。最初は10人程度の受講生でしたが、初級、中級とクラスが進むにつれ人数が減り、受講者が私一人ということもありましたが、一応、仏事についてはどのくらい役立つかはわかりませんが、お手伝いできるくらいにはなりました。
 その後、ご教授いただいた僧侶の先生の勧めもあり、2015年に僧侶になりました。
 ところで、「善人なおもって往生を遂く いわんや悪人をや」、皆さんよくご存じの歎異抄の悪人正機説ですが、正しい解釈ではないものの、私の理解をご説明します。
 世の中には、「自分は、常に正しい、正義だ」と思っている人がいて、当然その人は自分は「善人」であると認識しています。その人が、例えば、正しい方法でまっすぐ歩いていて、人とぶつかったとします、その人は、正しい方法で歩いているのですから「どこを見て歩いているんだ」と相手に怒るでしょう。
 また、世間には、「自分が避ければ相手にぶつかることはなかった。配慮しない自分が悪かったのだ」と考え、「大丈夫ですか」と相手を気遣い反省する人(悪人)もいます。
 私は、悪人正機説は、「自分を常に正しいと思っている「善人」でも浄土に往くのだから、当然、相手を気遣った「悪人」は浄土に往くということを説いているようなもの」と理解し、人への配慮も伝えているのではないかと思っています。
 人生を豊かにするためには、金銭だけではない他への配慮が大事だと思っており、「悪人」のように人の立場を理解し、それを助けることができるような人になることが自分の生き甲斐であり、理想です。

 ちなみに、ハダカデバネズミの中には、外敵が巣に来ると、自らすすんで外敵のえさになり、巣の中の仲間を守るネズミがいると聞きます。私も世のために、そのくらいの心構えになることを目指し、日々を過ごしたいと考えています。