東井悠友林
~あれから50年~
鍼灸師・あんまマッサージ指圧師
(元・三重県厚生連労働組合専従書記長)
藤 田 善 英
つい先日、東井代表からお電話を頂きました。何事かと慌てたのですが、エッセイの依頼でした。皆さんに披露できるような思いはありませんので、自己紹介代わりにしたためてみました。しばしのお付き合いのほど、よろしくお願いします。
綾小路きみまろさんの「あれから40年」ではありませんが、高校1年生は50年前の遠い昔話になってしまいました。高校入学時の視力は両方とも2.0でした。
しかし、1年後には両方が0.02以下になっていました。 卓球をしていて玉が当たらず、不思議に思っていました。ある時に右目でカメラのファインダーを覗くと、くもって何も見えません。何気なく左目で覗くと、はっきり見えるではありませんか。右目の視力が落ちていた事に気付かずにいたのです。家の近くの開業医から桑名市の眼科医にかかり、三重大学病院で視神経萎縮と診断されました。三重大に入院した時は左目がまだ見えており、はるか正面にある県庁で植木鉢に水をやるところやタバコを吸っている人が良く見えていました。青空に羽ばたく鳩の数を数えて時を過ごしました。ところが、日を追う毎に2.0から0.02へと視力は下がっていきました。視神経萎縮の手術では世界的に評判がいい教授がいるというので神戸大学病院に入院しましたが、開頭手術をしても視力は回復しませんでした。
身体障害者手帳をもらってもさほどめげることもなく、京都の盲学校に2年、東京教育大学付属盲学校で3年を過ごし、あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師の資格を取りました。視覚障害者として社会人になりましたが、最初に勤めた練馬総合病院の理学療法科の人達は視力障害の人ばかりで、盲学校の延長のような職場でした。ところが3年で病院を辞めてからは、小平市の老人病院や三重県厚生連のいなべ厚生病院に至るまで、視覚障害者は私だけという職場で働いてきました。周りの皆さんも戸惑ったことでしょうが、理解と協力に感謝するばかりです。いろんな事がありました。朝、病院に着くと「おはようございます」と挨拶をしていたら、「藤田さん朝の挨拶は今日3回目だから、もういいだろう」と言われてしまったり、パソコン入力を頼んだ看護婦さんは私の手書き原稿を見て、「大丈夫読めるわよ、お医者さんの字はもっと読みにくいからね」と笑い話になった事もありました。病院旅行で行った旅館の大浴場では、職場の仲間に奥まで手を引いてもらって入りました。広いお風呂場を裸の男二人が手をつないでいく。その人の周囲の目を気にしない好意は、嬉しかったです。
勿論、病院での患者さんに対するリハビリの仕事は、健常者に劣らずやってきたつもりです。三重県厚生連の病院に勤めていた時はリハビリの仕事ばかりでなく、労働組合のことにも関わるようになりました。病院支部の役員から、県組織の役員、全国組織の役員にもなり、三重県厚生連労働組合の専従書記長にも就きました。その中で、パソコンも自分で使えるように教えてもらいました。それは職場の皆さんの理解と協力があったからこそであり、組合員の支持があったから可能になったわけです。
さて、視覚障害者について少しお話しをします。
私は視力障害の1級ですが少し視力があり、盲人の中では弱視と言います。全盲の人のことを考えるとありがたいと思うのですが、それなりの苦労はあります。どの程度見えるのか、周囲の人の理解が得にくいことがあります。これは同じ弱視の間でも、分かり合えないほど見え方に違いがあります。私は視力の出る中心部が見えないのですが、中心の僅かしか見えず周囲や足元も見えない人、全体が曇っていて見えない人と様々な人がおります。私が白杖を持って歩いていると、「見えているのに」という感じで不思議そうに私を眺めている人がいます。アナウンスがないと、どこ行きの電車かバスなのか分かりません。タッチパネルでは切符が買えませんし、乗換えなどの案内標示も良くは見えません。街でお店やビルを捜すことも難しいですね。そこで遠くに出かける時は、ガイドヘルパーに頼ることにしています。同行援護の制度ですが、これも利用量に制約があります。家の近くなどに外出するときは点字ブロックを頼りにするわけですが、その線上でおしゃべりをしている人や放置自転車にぶつかることもあります。音の出る信号機もありますが、これは昼間しか作動しません。夜は自動車の音や他人の動きで、信号を判断します。「障害者差別解消法」が成立して時間もたちますが、白杖を蹴られたり、盲導犬の入店が断られるなどの事例は頻発しています。盲人がホームから転落する事件も年に80件ほど発生しています。
勿論、親切な人も多くいらっしゃいます。スーパーでは「何を探しているの」、「これ綺麗で、美味しいわよ」と声をかけてもらうことが多々あり、随分助かります。街を歩いていても「何か困っていますか」、「一緒に行きましょうか」と声をかけてくださる人が増えてきました。ホームドアや音響式信号機もありがたいのですが、このように、気軽に手助けの声をかけてくれるような社会になれば、と願っています。