本文へスキップ
東井悠友林

    ~トルストイ~
      
 株式会社 協友(水道保険)取締役
   元 日本水道協会 調査部長
        松 明 淳
 
  
 現在の趣味と云えば、旅行とゴルフくらいでしょうか。
 数年前、友人と旅行に大好きなゴルフプレーを加え、東京から南に2,400キロ、マリアナ群島北部に位置する日本に一番近い南洋のサイパンに行って来た。
 しかし、このことを、昨年95歳で亡くなった実家(札幌)の父に事前に話したら、きっと「何故そんな所へ行くのだ。どうしても行くのか。?」等々と云われたかも知れない。
 私の父は、大戦中は海軍で潜水艦航海士長として東南アジア方面で大変苦しい思いをしてきたと聞いていたからである。
 そして、日本軍玉砕の地であるサイパンが現在観光地となり日本人が多く観光客として訪れていることを嘆いていたものである。
 父は、戦争敵国のことをどうのこうのと云う訳ではないが、戦争そのものの悲劇、悲惨さを身体で実感してきた大正生まれの戦争を憎む人間である。
 確かに、訪れてみると、スペイン、ドイツと統治者を変えたあとに日本の委任統治下におかれたサイパンは、第二次世界大戦時の激戦地となり、その戦跡が各所に生々しく残されていた。
 現在の平和そのもののようなこの島と悲惨な歴史のひとコマは、あまりにもそぐわないが、そのことが戦争の痛ましさと平和の尊さをより訴えているようだ。
 私たちの観光ガイドについたのは、80歳を有に超える老人であり、大戦中日本軍とともに、銃をとったと云っていた。
 その老人の案内で訪れたサイパン島北部のマッピ山山麓には、緑の平地が広がり海岸線にはそれは美しい景勝が続いていた。
 しかし、この一帯はサイパンで最も多くの犠牲者を出した戦跡地であり、その美しい自然の中に、平和な時代に想像もつかない悲劇が隠されているのだと云う。
 サイパン島最北端のザバネタ岬、通称バンザイ・クリフと呼ばれているところがある。
 約80メートルの高さの断崖から眺める海は、波が白く岩に砕け散り、力強くそして美しい。
 第二次世界大戦末期、追いつめられて逃げ場を失った日本兵や民間人たちは、アメリカ兵の制止の声を背に、ここから次々と海に身を投じた。 「万歳!」と絶叫しながら。

 老人は、少し潤んだ遠くを見るような目で、そして、しわがれた声で話してくれていた。美しく鮮やかな南国の海を見下ろす崖の淵には慰霊と平和の願いを込めた白亜の塔が、ただ静かに歴史を見守っているようであった。