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東井悠友林

 ~試しにやってみたことが
      日々のルーティンに

                    (2026/1/15掲載)

         厚生労働省
         山 田 大 輔 
         

気がつけば、である。
前回のエッセイで「不惑を迎えて」などと、いかにも達観したような顔をして書いていたのだが、あれから瞬きをたった数回しただけで、今年は年男になり50歳が目前に迫ってきた。
「天命を知る」などという立派な言葉があるが、こちらとしては天命どころか、昨日の夕飯すら思い出せない日もある。
ところがこの歳になってから、ふと“試しにやってみた”ことが、思いがけず生活の中心に居座るようになってしまったのだから面白い。

◯ 試しにピアノを弾いてみたら
コロナ禍で家にこもっていた頃、娘がピアノを習い始めた。リビングの隅に置かれた電子ピアノが、何だかこちらを挑発するように光っている。
「お前も弾いてみろよ」と言われている気がして、つい大人向けの初心者楽譜を買ってしまった。
右手だけ、左手だけ、と順番に練習して、いよいよ両手で合わせてみたら、、、なんと、曲になった。
まがりなりにも“音楽”のようなものが流れ出した瞬間、思わず「おおっ」と声が出た。まさか自分の手が、右と左で違う動きができるとはこれまで想像したことがなかった。
調子に乗って本格的な楽譜にも手を出したら、子ども用の66鍵ピアノでは足りず、ついつい88鍵の本格的な電子ピアノを買ってしまった。
クラシックの名曲を、心から大好きな曲を選んで、自分の指で鳴らす。音を伸ばしたり、勝手に抑揚をつけたり、作曲家が見たら怒りそうなことをしながら弾くのがまた楽しい。一曲完成するのに数ヶ月や年単位を要するが、少しずつ出来上がっていく姿が醍醐味だ。
深夜でもヘッドフォンで練習できるので、今では一日の終わりの密かな楽しみになった。
さらに最近は、公民館のグランド・ピアノを月に一度借りて、本物の響きを味わっている。
この年にして、こんな贅沢な時間が訪れるとは思わなかった。

◯ 試しに朝ごはんをヨーグルトにしてみたら
私は昔から生活リズムが悪く、仕事の後、夜遅くに夕食を食べることが多かった。
そのくせ朝になると、腹も減っていないのに用意された朝食を平らげていた。結果、昼になっても腹が空かない。しかし、時間通りに昼食を食べてしまうという悪循環に。
そこで、ある朝ふと思い立って、試しにヨーグルトとフルーツだけにしてみた。
するとどうだろう。胃が軽い。昼前になると、腹がぐうぐう鳴り出す。
この「腹が減る」という当たり前の感覚を、私はいつの間にか忘れていたらしい。
食事が美味しい。体重も平均値に落ち着き、服のサイズも二段階ほど下がった。
文明の恩恵で食べ物に困らない時代だが、その裏で人間として大事な感覚をどこかに置き忘れていたのだと気づかされた。

◯ 試しに負荷の極めて少ない筋トレをしてみたら
お腹が出てきた。「これはいかん」と何度も思ったが、三日坊主の常習犯である私は、筋トレを始めてもすぐに挫折していた。
そんな時、実家の引っ越しで埃をかぶっていた腹筋補助具を持ち帰り、試しに使ってみた。
これが驚くほど自分に合っていた。負荷が極めて少ないのでゆるゆると続けられた。続くと、腹が固くなる。
一年ほどで腹に力を入れると少しカチカチになったので、家族に触らせては「どうだ」と得意げになっている。
同じく、足腰のためにスクワットも始めたが、夜遅く帰宅してからやるのはどうにも気が重く続かない。
そこで、試しに階段を使うことにした。エレベーターを避け、ただひたすら階段を優先した。
続けているうちに、心理的に階段が全く苦ではなくなったのと、ある日何気なく太ももとふくらはぎを触ると、これまたカチカチになっていた。今までに無い感触だった。
最近ではつま先で階段を歩いていくという、よくわからない進化まで遂げてしまった。
気づけばこれも立派なルーティンである。

◯ 試しにヨガ・ストレッチをしてみたら
妻と娘が、寝る前にYouTubeを見ながらヨガ・ストレッチをしていた。
「気持ちいいから一緒にやろう」と何度も誘われたが、「男がヨガなんて」と妙な意地を張って断っていた。
しかしある夜、半ば強引にマットの上に座らされた。
たった10分。されど10分。身体がほぐれ、布団に入ったらすぐに眠れた。
翌朝は身体が軽く、まるで新品の自分になったような気さえした。
それ以来、身体がこの心地よさを欲するようになり、寝る前のヨガが習慣になった。自然に背中の痛みも肩こりも消え、身体が柔らかくなったせいか、日常の動きが妙に軽やかだ。
ちなみに声をかけた妻と娘はもうやっていない。私だけが黙々と続けている。これもまた面白い。

◯ おわりに
人生の半ばを過ぎ、これまでの生活を変えるのは難しいと思っていた。
しかし、ささやかな“試み”が、日々の習慣を変え、身体を変え、心を変えていった。
これからも、気負わず、構えず、ふらりと“試しにやってみる”気持ちを忘れずにいたい。
人生というものは、そうした小さな一歩の積み重ねで、思いがけない方向へ転がっていくのだろう。

 ~もうすぐ不惑、
      人生の折り返し地点

                    (2017/9/1掲載)

アラフォー(40歳前後)という言葉が世間で流行って久しくなりますが、私も気づけば今年で39歳になります。まだまだ先と思っていましたが、人生の折り返し地点に突入です。
時が過ぎる早さと人生の短さを痛感します。

思い返せば30代に入ってからというもの、多くの方と同様それまでとは生活が一変しました。結婚して、子どもが生まれて、仕事もヒラ係員から少し責任を持ったポストになり、「責任をもってしなければならないこと、自分より優先すること」が公私ともに劇的に増加しました。家でも職場でも、あちこちから声(依頼)がかかるので、ゆっくりと落ち着く暇がありません。 (しいて言えば、通勤時間(片道1時間)が誰にも邪魔されないプレミアムな時間です)
こんなに人気者!?になったのは人生でも初めての経験でありがたいのですが、とにかく「目の前のことをどんどんやらなければいけない」。しかし、やればやるほどもっと声がかかるというジレンマも、、、。

総じて30代の生活は、それまでと比べ加速度的に早く時間が過ぎ去っていくような感じがしています。

ところで、40歳というと、論語では「四十にして惑わず」(40歳になって心が迷わなくなった)とも言われているように、私が幼い頃(小中学生)は、相当立派な大人に感じたものです。
その中でも私の中学1年の時の担任はとても印象的でした。その方は証券会社を退職してから教師になり、剣道一筋の方。体型から「たぬき」というあだ名が付くぐらい恰幅良く大らかでいつもニコニコ。生徒一人一人に授業の後にコメント(手紙の往復)をくれるなどまめな面もあり生徒の心をつかみます。しかし一旦怒ると剣道仕込みの怒鳴り声が強烈!
子どもながらに、芯があり、懐が深く、本当に尊敬できる魅力的な先生でした。しかし、当時その年齢は36歳。中学生の私は、人は36歳になるとこんなにも頼もしくなるんだなぁ、と思ったことをはっきりと覚えています。

その経験から、私は36歳になった際、「果たして先生のような立派な大人」になっているだろうか、と自分自身を振り返ってみましたが、どう考えてもその領域にたどり着いているとは思えません。むしろ、いつかはたどり着けるものでしょうか。その答えは判定しようがありませんが、私にできることはその「遙かなる目標」をこれからも追い続け日々努力、邁進すること以外にないのだということです。

人生の折り返し地点という「不惑」の年代に突入しますが、まだまだたくさん新しいことに挑戦し、迷い、惑い、そして、できればたくさんのワクワクがある「富ワク」な40代を目指していきたいと思っています。