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東井悠友林

〜Covid-19 感染症に罹って(1)〜     


     いなべ総合病院名誉院長
        水野 章


 令和2年はコロナ新型感染症で1年中かき回され、年が明けてもまだ収まらない状況でついに二度目の緊急事態宣言が発令されました。一度目に比較して二度目の宣言下では都民・市民の動きは何とも緩んでしまい、私の目には期待の半分ほどの行動自粛状態と映りました。それでも感染者数の実数は徐々に低下してきているので、ワクチン化が進み集団免疫ができてくれば、やがて収束も可能と期待させるかのようです。
 しかし身近に感染者や死亡者がいないと病気の辛さや怖さが分からなくて、他人事のように思えるのは常に人の心理です。皆さんも昨年春の第一波からそれぞれが三密を避け、消毒や手洗いなど感染対策を実践し、今まで罹患せずに来られたと思います。第三波下でも同じ様な対策をしておけばきっと自分はコロナに罹らないだろうと妙な自信がつき、行動自粛がつい緩くなってしまいがちになっているのも事実であります。
 お笑いタレントの松村邦洋さん、女優の藤田朋子さん、立憲民主党の小川淳也議員らは揃って、「自分は感染対策をしっかりやっていたのに、どこで感染したか全く分からない。」と言っています。もはや市中感染でどこでも誰でも感染してしまう環境下で私たちは生活していると自覚すべきなのです。

 実は、こう警鐘している私自身が、昨年の11月にコロナ肺炎に罹ってしまいました。
 そして大変な闘病生活を送ることになりました。さいわいにも治療が奏功して復活してまいりました。退院してからも「医者のくせに、横着していたのだろう」と何となく白い目で見られ、本来は隠して、そっと時間が経つのを待ちたかったところですが、いまだに感染者数が相当数あり、緊急事態宣言下でも街に繰り出す人の多さを見て、この怖さを積極的に世に知らしめる責任があると考え、ここに敢えてペンをとりました。

 発症したのは昨年の11月5日。軽い風邪症状がありましたが2〜3日で治ってしまいました。しかし何となく身体がだるく、ため息ばかりしていました。微熱を伴いゴロゴロと生活しているうちに、コーヒーの匂いがしなくなり、11月10日、PCR検査をしたら陽性が確認されて即刻隔離入院となってしまいました。最初は重症感がなく、すぐ退院できるだろうと高を括っていました。「同世代の中では比較的元気な方で、若々しいと言われていた自分がどうして感染してしまったのか?あれだけ感染防御対策を実践していたにもかかわらず、どこで感染してしまったのだろうか?」と疑惑と自責の念でいっぱいでした。同日に撮影された肺のCTでは、すでに肺炎が始まっていて、それから日に日に悪化してゆきます。息をしても十分な空気が肺に入って来ない気がし、酸素の取り込みも悪く、歯を磨いたり、シャワーを浴びたりするだけで息切れがして、深呼吸を必要としました。
 入院して6日間は全く食べられず、何もしたくなくベッドに寝たきりのままで、生きた心地がしませんでした。CTを撮るたびに肺炎が進行し、血液検査でも一向に出口が見えてこないので、次第に悲観的な気分に陥っていきました。
 「こうして食べられず、動けず、気力も体力も衰え、次第にすべてが萎えて全く動けなくなり、そのまま死んでゆくのだろうか?」「蝋燭の灯が消えるように死んでいけるというのはこうゆう事なのか?」「まだちょっと早い気もするが、後1年長生きしても走馬灯が1回余分に回るだけで、まあ、長生きしてもしょうがないか・・・」「このまま家族にも会えずに、一人で死んでゆくのは少し淋しい・・・」そんな考えが頭をよぎっていきました。

入院翌日からアビガンを内服しました。だが病状は改善せず、3日後には次のステップでレムデシビルとステロイド点滴に変更していました。すると、入院7日後に初めて肺炎の進行が止まった様だと説明を受け、やっと安堵して睡眠もとれるようになりました。それから症状が日毎に改善し、高機能病院へ転送されることもなく、人工呼吸器やエクモ(これらの方法は治療法ではなく全身管理をする方法です。)に繋がれることもなく治ることができました。もしも治療方針がまだ十分確立していなかった昨年の春先に感染していたら、帰らぬ人となっていたかもしれません。

私の症状は肋間神経痛、片頭痛、嗅覚・味覚障害の他は軽度の発熱、倦怠感、息切れ(呼吸機能低下)、食欲低下でしたが、殆どの症状は入院中に軽快しました。退院時に残っていた症状は息切れ、深呼吸時に右背部の胸痛、腰痛、筋力・気力の低下、抜け毛でした。約3か月経過した現在でも残っている症状は、息切れ、筋力・気力の低下などで少ない方ですが、ずっと後遺症に悩む方々も沢山いらっしゃいます。
 自分が入院したことで、この2日間で接触した職員や診察した住民に心配をかけ、検査や自宅待機までさせられた方には、お詫びの仕様もありません。何より心配だったのは自分がスプレッダーとなりクラスターの核となってしまうことでした。職員の皆さんには最大の防御処置を取って頂き、幸い院内感染も認められずに来られたのは、せめてもの救いでした。

 闘病生活の実態は長くなりますので次の機会にさせて戴きますが、退院といっても症状が全て取りきれたわけではありません。2週間以上もベッド上の生活をしていると、脚力が衰え、ベッドから立ち上がることも歩くこともままならないのです。ウィルスが身体から消えてもリハビリをしないと日常生活が送れません。これらの症状を取り去る後療法がまだ必要です。
 多くの既感染者は既にコロナウィルスの抗体が出来ていますので、基本的には再感染しにくくなっているはずです。しかし、私には同居の家内と家族がいますので、外からウィルスを持ち込まないようにしないといけません。従って、大変面倒ですが下記の様に感染前よりもっと厳しい感染防御対策をしています。

@ 常に三密は避ける様に行動する。今までクラスターが発生した環境は利用しない。
A 外出中は常時マスクをする。外出時は帽子もかぶる。外出時の外着(表面がサラッとしたもの)も決めて利用する。外出着はこまめに洗濯する。
B マスク管理をする。人ごみの中で使用するマスクは不織布性のものを利用する。毎日交換する。途中で外した時の管理を汚染しないようにさせないように保管する。
C マイ消毒液を常用する。 設置消毒液は多勢がボタンに触れるし、あまり信用しない。スーパーで買ったものを持ち帰ると、気休めでも外袋を消毒する。
D できるだけ自家用車で出かけ、公共交通機関は使わない。
E 外食するときは短時間で、サッサと食べて出てくる。
F 自家用車に乗る前に手消毒をしてからドアノブを持つ。ドアノブ、ウィンカー・ウ オッシャーレバー、スイッチ、ハンドルなど良く触るところはウェット消毒シート でこまめに消毒する。
G 門扉や玄関のドアノブは頻繁に消毒する。帰宅したら、玄関で手を消毒して、上も下も外着は着替えをする。更に石鹸を使って、手洗いをして、うがいをする。
H コロナ肺炎流行時は鎮痛剤や解熱剤としてロキソニンは内服しない。
I 「翌朝シャワー」ではなく、その日の夜に入浴し、必ず洗髪もする。
J コロナ肺炎の症状を記憶し、体調不良を感じたら、まず、仕事を休む。予定をキャンセルし、自分がスプレッダーにならないようにする。

 そうしているうちに治療薬やワクチンの開発が進みます。感染治癒者も増えてきますし、ワクチン接種で免疫力が付いた人も増えてきます。即ち。集団免疫が付いてくると パンデミックは収まり、インフルエンザと同じような扱いになるかもしれません。
 それまで自分が罹らないように、最大限の予防対策を実施して頂きたいと思います。 )