過ちは繰り返しませぬ、か? |
「安らかに眠って下さい 過(あやま)ちは繰返しませぬから」 この言葉は、広島市の原爆死没者慰霊碑に刻まれた言葉。 1945年8月6日、アメリカ軍の原爆が広島市に投下され、街は一瞬にして焦土と化し、 夥しい死亡者と被爆者を出した(注・広島市と長崎市に投下された原爆の死没者数は、現 時点の両市の死没者名簿では約52万人) あの無謀で残虐な戦争は、その9日後の15日、日本の降伏で終結した。 この碑(いしぶみ)は、原爆犠牲者の冥福を祈ると共に、このような戦争を二度と起こさ ないという、日本人の不戦の誓いとなった(注・主語が曖昧とか言われるが、主語は全て の日本人だろう) 我が国は、明治維新後、日清戦争(明治27年)、日露戦争(明治37年)、第一次世界 大戦参戦(大正3年)、満州事変(昭和6年)、日中全面戦争(昭和12年~20年)と、 戦争を繰り返してきた。 そして昭和16年12月7日。アメリカによる日米通商条約の破棄・対日経済封鎖に抗し、 日本軍はハワイの真珠湾を急襲し、太平洋戦争を開始(第二次世界大戦に参戦)した。 まさに明治維新後、日本は「二度」とではなく「何度も」戦争を繰り返してきたのだ。 この太平洋戦争前の昭和16年8月以降、日本の軍部やマスコミはABCD包囲網(アメ リカ、イギリス、中国、オランダ)が日本を圧迫しているとし、開戦を正当化するキャン ペーンを展開した。 対米交渉に望みをつないでいた近衛内閣は総辞職し、10月に発足した東条英樹(陸軍大 将)内閣は、アメリカが11月末までに経済封鎖を解除しなければ12月初旬に戦争を開 始することを決意。 12月1日に御前会議で対英米蘭開戦を決定し、その6日後にハワイのアメリカ太平洋艦 隊に奇襲攻撃をし、ここに太平洋戦争が開戦された。 昭和16年12月8日の午前7時、NHKラジオから臨時ニュースが全国に流れた。 「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。 大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋におい てアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋にお いてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。今朝、大本営陸海軍部からこのように発 表されました」(注・NHKアーカイブスから) さらに日本軍は、米英軍の重要拠点であるマレー半島に上陸し、仏領インドシナ(べトナ ム・カンボジア)・タイ・ビルマ・シンガポール・オランダ領東インド(インドネシア) やフイリッピンに侵攻した。 まさに、あれよあれよという間に戦争が始まったが、日本の快進撃は翌年・昭和17年6 月の「ミッドウエー海戦」(注・地図ではハワイ諸島の500キロほど北西上の、ミッド ウエー諸島)での敗退で止まり、昭和18年2月の「ガダルカナル島」での死闘(日本軍 は3万6千名の兵士のうち、2万1千名が戦死)・撤退で、成り行きはほぼ決まった。 しかし、大本営(天皇直属の最高統帥機関)と政府は、日本の力を過大評価し、戦線拡大 へと突き進んで行ったのである。 そもそも1941年当時の国力をGNP比と鉄鋼生産量比でみると、アメリカは日本の約 12倍であった。国力の差は戦力の差となり、日本軍は劣勢・撤退が続き、戦場の戦力は 勿論、日本国内は物資不足等で不安と疲弊が極まって行った。 政府・有識者どころか、一般国民でさえ「日本の戦いは無謀そのものだ。この戦いは負け る」と予測していた筈だ。 だが当時は、長期化する戦争に対応するために「国家総動員法」が制定されており、新聞 や出版などの記事も厳しく言論統制されていたので、正しい戦況や戦争に反対する声は、 国内には流れなかったはずだ。 そして、日を追うごとに戦死者の増加と銃後の守り(本土の国民達)の艱難辛苦が深まる 状況に至っても、「神風が吹く」「一億総玉砕」などといった軍部の狂気の精神論により、 国の中枢はなかなか敗戦の決断が出来ず、結局、3年9か月もの長期にわたって、不毛で 残酷な戦争が続いてしまったのだ。 こう考えると、やはり戦争は起こしてしまったら、何と理屈をつけても、敗戦国は勿論の こと戦勝国も含め、多くの国民が拭いきれない不幸に陥ってしまう。戦争は人類にとって 一番の不幸で、生き地獄。 それは現在も続く「ロシアのウクライナ侵略戦争」や「イスラエルとパレスチナ自治区ガ ザを巡る戦闘」のテレビ・ニュースを見ていると、単なる傍観者である戦争を知らない 我々も、心が重くなって辛くなる(注・テレビ番組はNHK以外は、どの局も、食い物番 組かおちゃらけ番組ばかり流しているようだが。 野党は、得意分野の政治と裏金問題など、取り合えず追及しやすい内輪の問題ばかりを騒 ぎ立てるが、そこまで近づいている軍靴の音の背景と、防衛・外交問題について、鋭く質 問しないのか) だからいま一番肝心なのは、一人でも多くの日本人が国際情勢と日本の現状に関心を持つ こと。政治に対して言うべきことを言うこと。選挙権を必ず行使すること。「戦争前」に 想像を働かせること。どのような理屈の戦争でも認めず、ぎりぎりまで開戦を防ぐ努力を すること。私はそう考えるのだが。 「戦争と言うものは、ある日突然に起こる。その兆しが見え始めた時にはすでに遅い。ま さか戦争になるとは、誰も思わなかった」という話を、私は第2次世界大戦を経験した人 からよく聞かされた。著名な文化人や当時の政府要人の手記を読んで、彼らも同様のこと を述べていたことを覚えている。 だが大戦前の当時は「治安維持法」が施行されており、現在の某国のように国家主義がま かり通る社会で、反戦」的な言動や報道をしたら「アカ」とか「社会主義者」などと決め つけられ、すぐに逮捕・弾圧を受けて排除されてしまっただろう。 だから無力な一般庶民は、国家権力におとなしく服従するのが賢明とばかり、地域では 「反戦・平和を唱える人」を忌避し、警察に密告したり嫌がらせをしたりする国家権力の ポチになる者も、少なくなかっただろう。そうしたことを教えてくれた歴史小説や社会的 映画などに、今まで随分と触れてきた。 まさに国民も「鬼畜米英を殲滅する神国・日本軍」を礼賛する「同調圧力」を作り出して いた、と推察できる。 忌まわしい悲惨な戦争が終わって、今年で79年が経つ。 日本はその間、一度も戦争を行わず、一人も戦争で殺さなかった。 平和な時代が続いてきた。だから我が国では、平和であることは「水や空気」と同様に常 に存在するもので、自由に享受できる当たり前のこと、となってしまっている。 だから。 「まさか、日本が戦争をするわけがない。いくら多数派の独断専行をする政権であっても、 それはあり得ない」という思いは、戦後一貫して(特に1990年の東西ドイツの統一以 降)殆どの日本国民の認識となっているはず。 ところが。 前述したように、戦争は「想定外」に勃発する。 当然のことに、国の中枢には「インテリジェンス(高度な情報収集・分析機関)」が昼夜 稼働していることだろうが、安倍政権の時代の所産を引き継いだ現・岸田内閣の答弁ぶり は「回答は控えさせていただきます」「よく検討し、国民に丁寧に説明してまいります」 の繰り返しで、野党も(与党内部も?)国民も良くわからない。 戦争も、ある日突然に始めるかもしれない。 今までも憲法学者の多くが「違憲性」を指摘していた「集団的自衛権の行使」を認めた安 全保障関連法制を、政権与党内部であっという間に制定。「国会での白熱した議論」とか、 解散・総選挙で安全保障に関する国民の信を問うとか、憲法改正の国民投票を実施するな どということとは、全く無縁の「一党独裁」政治が続いているようだ。 「ロシアとウクライナの戦いは、『独裁政治・専制主義陣営と立憲政治・民主主義陣営と の戦いだ』」と言ってウクライナを援助しつつ、中国の台湾侵攻を念頭に、我が国の軍備 増強に多額の予算を計画している。 だが、岸田首相は「憲法などは解釈次第でいか様にでもなる。最高裁も憲法判断を回避し、 政治の動きを追認している(注・最高裁判事は内閣が任命)」「とにかく、アメリカに追 随していくことが最大の政策」「支持率が低下しようが、何といわれようが、ぶれないで 聞き流していくこと。そのうち世論などはコロッと変わる。国民はすぐに忘れる」という 信念に凝り固まっているように、私には見えるのだが。 最後に。 最近読んだ新聞記事で、印象に残った記述がありました。 それは今から2年前、私が2022年2月24日付及び同月28日付で書いたエッセイ 「もしかしたら・・・」「続・もしかしたら・・・」 の内容と非常に似ていて、とても 共感できたからです。 それは、元外務事務次官・藪中 三十二(やぶなか みとじ)氏の発言です。 「私は今、戦争の足音が聞こえてくるような日本のムードを、心配しています。平和の重 要性を語ると『空想的平和主義』と批判され、『中国に勝てるのか』と言われる。 戦争の足音が響き始めると、否定的なことを言うのが難しくなります。戦争って、そうい う力を持っています」 「ウクライナ侵攻が不可避だったかのように言われますが、本当にそうでしょうか。『侵 攻を止める方法はなかったのか』ということです。そのための外交が不在ではなかったか。 侵攻前、ロシアは米国に『ウクライナをNATОに加盟させるな』と要求しました。これ に対し米国はゼロ回答でした。 ブリンケン米国務長官は『ロシアが誠意をもって話す用意がないので、ロシアと話しても 無駄だ』というのです。 これでは、外交官として失格だと思います。 私が米国の外交官なら『米ロの共通の理解として、当面の間、ウクライナがNATОに入 ることは無いという見通しを共有した』といったようなボールを投げますね。 そうした努力を、なぜしなかったのか」 「過ちは繰り返しませぬから」 広島の碑の誓いが、戦後79年経った現在の日本で、果たして守られていくのだろうか? 多くの人の耳に、果たして戦争の足音が聞こえているだろうか? また、過ちを犯すのだろうか? いま、日本に生きている全ての人の頭上に、宇宙の神の視線が注がれている気がします。 それでは良い週末を。 |