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 OBインタビュー

 OBインタビュー
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 学生交流プログラムとして日本で最も長い歴史を持つ日米学生会議には、様々な業界で活躍
 するOB/OGがいる。 本コーナーでは、OB/OGの方々に、日米学生会議参加の経験を語って
 いただく。

 船山直子様  (第29回参加者) 
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株式会社マガジンハウス クロワッサン編集部

 日米学生会議(以下、JASC)に参加したきっかけは?
私が学生だった1970年代は、現在のように情報へのアクセスが整っていない時代でした。そんな中、アメリカの文化に惹かれていたこと、またJASCに参加する一年前の夏に、友人と二人でアメリカを訪れたことが、参加のきっかけです。
当時は、バックパッカーも流行っていましたが、私たちもリュックをしょってアメリカを貧乏旅行したのです。今のように、簡単に海外にいける時代ではなかったですね。

 JASCに参加して感じたこと、得たものはありますか?
アメリカへの旅行やJASCに参加した中で、実感したことは、アメリカ人も日本人とそれほど変わりはないということです。当時はアメリカ文化の若者への影響力が強く、非常に刺激的な国という印象が強かったのですが、実際に当地を訪れてみると、学生の行動やファッションが日本で得ていた情報をもとに抱いていた印象ほど特別なものではなく、普通だと感じました。 ただ、アメリカ人の学生が政治的な議論などで、意見を真っ向から戦わせ、白熱している姿には驚かされました。

JAJASCで出会った友人にはいろいろな影響を受けました。現在でも、「読書会」というかたちで年に1,2度、持ち回りで本を選び、感想を述べ合う会を開いています。
再会がいつも一番大事な目的なんですけどね。教師や商社、メーカーで働く仲間、それぞれ違った仕事を持っていますが、当時の参加者6人ほどで集まっています。その中でも私が一番ドメスティックな職場にいるかもしれません。なかなか全員が日本に揃っていることは少ないのですが、時にはテヘランからの仲間の帰国に合わせて会を開くということもあります。

 素敵ですね。僕らもそんな関係が築けるように頑張ります。
そうですね。つながりを感じます。第29回JASCのリユニオンも最近開かれました。

 船山さんは、ドメスティックな職場で働かれているとおっしゃっていましたが、わりと海外と関わりの深い職場を選ぶJASCのOB・OGが多い中で、なぜ今の職業を選択されたのですか。またJASCは船山さんの仕事選びに何か影響はありましたか
この仕事を選んだ背景は本や活字に興味があったからです。特にJASCが大きく影響して今の仕事を選んだというわけではありません。もちろん、いろいろな面でJASCから得たものは大きかったのですが。
ただ、JASCでの友人関係が雑誌作りに発展した経験があります。今日はJASCと仕事のつながりという意味で20年以上前のことですが、過去に私が関わっていた青年向け週刊誌「平凡PUNCH」という雑誌で、韓国を紹介する特集を組んだことをお話します。
この号が発刊されたのは、1988年のソウル五輪の3年前でした。当時の韓国は、経済発展が進む一方で、北朝鮮との軍事的な緊張も今よりも厳しく、また言論の自由も十分に保障されていなかったことなどから、私などは少し怖い国という印象を抱いていました。

そんな時に、JASCの参加者に韓国を勉強している友人がいて、彼を訪ねつつ、女性二人で韓国を旅行しました。当時、韓国に行く日本人旅行者と言えば、キーセン観光という売春目的の中年男性が多く、現地での日本人の印象は決してよくありませんでした。だから、女性二人で来ていることに現地の方がびっくりされ、親切にしてくれる方もいました。韓国の活気、エネルギーにも驚きました。 韓国はもっと面白くなってくるんじゃないか、そして韓国の今の顔を日本の若者に伝えたいと思い、上司に提案して、取材が実現しました。今のような韓流ブームとは程遠い時代でしたが、日本では滅多になかった韓国特集であったこともあって雑誌もよく売れました。

私がJASCの友人を訪ねたことに始まり、そこから「近くて遠い国」の横顔を紹介する記事が実現したという意味で、どこかでJASCの目指す国際交流につながるものがあるのでは、と思います。

 今日、現在のJASCer(日米学生会議参加者、学生)に会ってみて参加された当時のJASCerと違いを感じますか。
今日、少しお話ししただけではわかりません。ただ、JASCに参加した77年の夏は面白い夏でした。みなさんも楽しんでください。

 結び 
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船山さんありがとうございました。今回は特にJASCに関係するテーマについてのインタビュー内容を書きました。特に平凡PUNCHの記事については「文化とアイデンティティ」分科会の大原くんも感想を書いてくれているので、そちらもぜひ読んでみてください。
僕とは違った視点で、感想を交えて船山さんのお話を描いてくれています。

また、JASCとは直接関連しないのですが、「雑誌とは?!」というお話も非常に面白かったです。船山さん曰く、雑誌とはあくまで「雑」である。つまり雑誌は、自分の得たい情報にダイレクトにアクセスするような、例えば参考書や辞書のようなものと異なり、それ以外の情報にも偶然に出会う可能性があることも魅力の一つだそうです。そして、そこに生活を豊かにするちょっとしアイディアやヒントがあること、しかもそれが低価格で売られていて、誰にでもアクセスしやすいことなどが、雑誌が必要され続ける所以ではないかとおっしゃっていました。 僕自身も船山さんの言葉には強く同意します。 また、あるテレビで、デザイナーの方がゲスト出演していたときに、司会者が彼に疑問を投げかけました。「デザインは生きるために必ず必要なものではない。そのデザインにかけることができるのはなぜなのか?」それに対して、同じくもう一人の司会者が脳学者の見識を背景に答えていました。「必要なもの、例えば食物を欲する脳の場所とデザインをいいと思う(欲する)脳の場所は同じなんだよ。つまり食べ物は体の栄養で、デザインは心の栄養みたいなものかな。」 なるほど、雑誌も、もしこの世になかったら人が生きていけないというものではない。しかし、その雑誌は私たちの生活の知恵や楽しみ、知識を与えてくれる。
そして心を豊かにしてくれる。心の豊かさは生活の豊かさに結びつく。

そんな雑誌を通して、人々の生活に何かをもたらそうとされている船山さんの仕事に強い魅力を感じた。

私たち、現役のJASCerはもちろんのことまだ学生の身分だ。そして今、私たちは社会への門出を前にして、単に働くというだけでなく「働き方」を問い続けている。答えはないかもしれない。しかし、今日、船山さんにお会いさせていただき、活き活きと雑誌の魅力を語る姿をご拝見して、とてもステキだなと思った。

これからもステキなOB/OGの方をインタビューしていきたいと思います。

インタビュアー 山田裕一朗(第58回会議実行委員)

 西田尚弘様  (第34回参加者・35回実行委員) 

HSBC証券会社 マネージング・ディレクター

 日米学生会議(以下、JASC)に参加したきっかけは?
日米学生会議(以下JASC)参加者募集のポスターを大学の掲示板で偶然見つけたのが契機となりました。高校時代に米国への交換留学の経験もあり、グローバルな舞台に挑戦することを望んでいました。迷わず応募・合格することができ、晴れてJASCのメンバーとなりました。

 JASCを通して得たものは何ですか?
また、それは現在の自分にどのように活きていますか?

第一に友人です。一ヶ月間寝食を共にした仲間は掛け替えのないもので、最近でも連絡を取り合っています。このような関係は今後も続くのではないでしょう か。JASCで得たことが現在の仕事に直接影響を与えたことはありませんが、自分の「モノの見方」や「考え方」のベースになったと思います。学生時代に JASCを経験できたことで、スケールの大きい視野を得られました。「チャンスが来た時に大きな舞台で働きたい」という思いが強くなり、その後の意思決定 にも大きな影響を与えました。
また、実行委員としての経験で得た達成感は一生のものでしょう。日本開催(第35回)の実行委員として、訪問サイトの決定から講演会の内容まで、全て自分 たちで運営しなければなりませんでした。サイトを選ぶ際に、河口湖まで視察に行ったりもしました。
自分で決めたサイトでの成功は大変喜ばしいものでした。。

 JASCの意義は何であるとお考えでしょうか?
周知の通り、発足当時と私の参加した80年代前半とでは日米関係は大変異なります。
JASCに参加することで「なんで日米なんだ?」と考えるようになりま した。もちろん、日本にとっては今も昔も、最も重要な外交関係は日米関係です。これは外交のみならず、学会・財界などの各界で社会的に受け継がれている流 れと言えるでしょう。このような流れの中で、JASCの果たす役割は大きいと感じます。各界で活躍している「モノを見る人材を輩出する場」としての意義も 十分にあると思います。またJASCの参加者はたとえスタートが“日米”であっても、そこを基点によりグローバルな視点をもち社会で活躍している方がほと んどだと思います。
第58回のJASCでは Tangible Resultを意識しているとの事ですが、これは会議全体としてのtangible result と、個人レベルのそれがあると思います。70年以上続くJASCの参加者同士の交流や、私たちが会議で何をしたのか、何を得たのか、といったことを社会に対して発信すること自体も会議全体のtangible resultになるのではないでしょうか。
また、外交や財界など各界で活躍されているJASC-OB・OGは沢山います。宮沢喜一元首相をはじめ日米及び国際関係に貢献されている方も沢山います。 学生会議という草の根レベルの活動から輩出された人材は、個人レベルでも日本の社会全体に長期的に貢献していることは間違いありません。このような流れを 是非とも続けてほしいと思います。

 本日は大変お忙しい中ありがとうございました。 

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インタビュアー 須藤淳(第58回会議参加者)

 吉原健吾様  (第41回参加者) 

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外交官

 JASC参加のきっかけは何だったのでしょうか?
1989年の春に飯田橋のBritish Councilで英語の講習を受けている時に参加者募集のポスターを見かけて、興味を持ちました。大学では運動会の合気 道部にいたのですが、そのやりすぎなどで進学にぎりぎりの点数にもなり、志望した学部に行けず、大学に行く意義などを模索していた時期でもありました。
あともう一つの理由は、ESS(英語サークル)で渉外(英語会連盟の仕事)をやっていたのですが、ESSで日本人相手に話すことに限界と鬱憤を覚え、応募したいと思いました。

 なるほど
そうして選考を受けたら運良く合格しました。僕は帰国子女でもなく、18年間四国の高知県を殆ど出ることなく上京した学生なので。それが、なぜ千載一遇のこのような会議と出会えたのかは運命のような気分がします。

 JASCを通じて何かを得たと思われますか?
4週間を約80人の学生と過ごすわけですから、本音で話すことが多くなって、腹を割って話せるような友人がたくさんできたことですかね。きれい事で話し終えられるのはせいぜい最初の1週間でしたね。
あと、アメリカ人の学生といると、合わせ鏡のような状況に置かれるのですよね。概ねアメリカ人はずばずば物を言いますし、皆同じ学生なのですが、世代も文 化も考え方も違うことも少なくはない。具体的には、アメリカ人は考えながら話すことが多く、そういう考えでも筋が通っていれば受け入れられる傾向がある。 対照的に日本人は考えがまとまった後に話すから、話し出すのが遅い。日本はアメリカに従属していると国際的な力関係をとらえ、また、アメリカ人に対して日 本人の意見は通らないと唱える人もいますが、そうではなくて、逆に日本人相手よりもアメリカ人相手の方が、主張が通りやすいことが多いのに気づきました。

 JASCの経験の中で今のお仕事に活きていることはありますか?
外交官として13年目を迎えましたが、まずは自分の国や自分のことを知らないと、相手のことも理解できないですし、外交もできないと感じることが多いです。その意味で合わせ鏡としての日米学生会議は、僕の中で生きています。

 JASC参加の意義とはどんなことだと思われますか?
やはり、日米関係って国際関係の中で一番長く続いているものの中の一つに入ります。
現在のところ国力では世界で、1、2位ですし、国連でも負担金が両国とも一番多い。
そういう中で、ビジネス、行政、国際法など色々な面で一緒に何か仕事し、利害を調整する、分かち合うことって多いと思うのです。その中で現実には色々とコミュニケーションの問題もあるようなので、一緒に学生会議を通じて、何かを作り上げるのを擬似体験することはすごく良い経験だったと思います。
例えば、何かについて議論するにも、単純化した例としては、あなたはアメリカ人、私は日本人というふうにバックグラウンドが違うことを確認するだけじゃなくて、どこまで合意するのか、どこから意見が合わないのか、ここまで議論を詰めることの重要性を認識させられました。いわゆる、agree to disagreeというやつで、確か、会議の中でも「僕は今でも君の意見に反対だけど、君がどうしてそう考えるようになった背景は分かる気がする。」ということをつぶやいた人間がいたのを記憶しています。

 つまり、国際的な環境の中でどうコミュニケーションをとって行けばいいのか、一つの指標になったというわけですね。
そうですね。あと、もう一つ思い出深かったのは、開催地東京から次の開催地富山へ移動する合間の立山でのクーリングオフでの出来事でした。前年に北京でお こった天安門事件について議論していて、メディアが入る富山で哀悼、或は抗議の意志を表明しようという提案がありましたが、日米学生会議の意義に立ち戻っ て熱い議論を突然繰り広げることになりました。ある者は、天安門事件に対する抗議声明を発表すれば、中国との良好な関係を重視する公共団体等の賛助団体 が、日米学生会議に約束してくれていた補助金を出してくれなくなることを懸念しました。またある者は、「そもそも学生会議は社会人になって個々の責任で政 治社会活動を行うための揺籃期であり、そんなことは会議の外でやるべきであり、会議を利用してはならない」と主張しました。一方で、「政治的な意思表示、『行動』なしで会議の存立はありえない」と富山での声明発表を強く推した者もいました。
粘り強い議論が続き、結局富山では米の自由化公開シンポジウムの冒 頭で中国の亡くなられた学生に哀悼の意を表する穏健なものに落ち着きました。
その後も、私たちはそうした出来事や日頃思うことをインターネット時代前はミニコミ紙でやりとりしていましたし、それ以降も電子掲示板で議論を繰り広げて いました。世代的に結婚、海外赴任、留学、家族の誕生などが多いので、最近は近況報告のみにとどまりがちなのですが、何らかの形でコミュニケーションはと り続けています。熱く議論した経験も、熱く議論できる仲間も、またその後の人生の糧になるような経験もできて、日米学生会議に参加して本当に良かったと 思っています。
少なくとも僕にとって、日米学生会議はまだ終わっていないのです。宿題を未だに負っている感覚があります。

 きっと、参加者の皆さんは、それぞれの思いを抱いて、社会でご活躍しているのですね。
あと、社会人になって余裕がなくなったり忙しくなったりする時期はあると思いますが、そういう時に支えてくれるのが日米学生会議の同期です。そういう仲間は僕の財産です。

今後の参加者へのメッセージがあればお聞かせ下さい。
ぜひ、日米学生会議を「入り口」や”stepping stone”にして、(こころにも)焦げつく夏を過ごしていただけたら、と思います。学生は多少の無謀さをもって、色々なことに挑戦して、「さなぎから蝶 になる」ために自分から殻をガシガシと破っていってください!本会議が始まる前も大変で、はじまってしまうと会議は怒濤のように終わってしまいますが、終わってからもそうした強烈な経験、友情を反芻し、少しずつ育てていって欲しいと考えています。

 お忙しい中、本当にありがとうございました。 ics

 

インタビュアー 島村明子(第58回会議実行委員)


   

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